どんな君でも





その日、学校から帰宅した良守を出迎えてくれたのは父ではなかった。

「ただいまー。」
「よう、お帰り。」

返ってきたのは利守とは明らかに違う聞き慣れない子供の声。訝しげに顔を上げ前を見た良守の目の前にいたのは、坊主頭の少年だった。

「早かったんだな。まだ利守も帰ってきてないのに。」

小学生より帰宅が早いって大丈夫なのか?と笑いながら話す目の前の子供に、良守はポカンと口を開けた。
ウチには自分より小さな子供なんて弟の利守しかいない。そしてその利守は年よりも大人びて利発だけど、こんな偉そうな喋り方は断じてしないし、ましてや坊主頭だった事なんて過去一度もない。仮にいきなり剃ったにしても、いきなり顔つきまで変わる事はないだろう。身長だって弟より高いし、大体今目の前にいる本人が利守も帰ってないのに、と言ったのだから利守本人であるはずがない。何より良守はこの偉そうな坊主頭には見覚えがあった。古い記憶が呼び覚まされて、思わずコクリ、と唾を飲み込む。

「・・・・・・・・・・・・・・兄、貴?」
「俺以外の誰に見えるんだ?」

その俺様な態度はまさしく、良守の兄、正守に違いなかった。



「ちょっと油断しちゃってさ。目が覚めたらこの体になってたんだよ。」

参っちゃうよね〜と飄々と言う姿を見ていると本当に参ってるのかどうかは疑わしいが、語る口調も態度も紛れもなく正守としか言いようがなく良守は呆気に取られた。
正守が単独であたった任務での事。最後の悪足掻きとばかりに正守に襲いかかった妖の捨て身の攻撃は、彼の体を微か掠った。その毒気に当てられた正守が、一晩寝て覚めたら事態が一変していたのだと言う。
件の妖はいくつかの毒を内包していたらしい。その中のひとつがこの結果を生みだした。

「幸い調査の為に妖の死骸を残してたから解毒剤は作れるみたいでさ。まあ多少体力とかに問題はあると思うけど、別に術がまったく使えなくなったって訳じゃないし、戻るまでの間も出来る仕事はしようと思ってたんだけどね。刃鳥に『後からどんな影響が出ないとも限りませんから、解毒剤ができるまで大人しくしてて下さい』って言われて。仕方なく休んどくかなって思ってたら、夜行のみんなが『目の毒だから実家にでも帰ってて下さい』って泣きながら言い出すんだよ。結局追い出されて来た。」
「はあ…。」
「目の毒って失礼だと思わないか?そりゃ頭領がいきなりこんなになったら違和感あるだろうけど。」
「いや、それって違和感とかだけの問題じゃないんじゃー…。」

正守は納得いかない様子で不機嫌そうだが、良守としては夜行のメンバーに同情したい気分だった。夜行の面々は、一部の例外を除いて殆どが正守の親衛隊と言って良いほど兄に傾倒している。その正守に起こった今回の事件。色々と複雑すぎて対応に困るのだろうと良守は察した。

「薬が出来るまで2〜3日はかかるみたいなんで、その間よろしくな。」

にっこり、と笑う正守の姿は紛れもなく子供の姿だ。体格的に利守よりずっと上、良守とは同じくらいという感じがする。

「それはいいけど、今の兄貴、いくつくらい若返ってるんだ?」
「ん〜。まあ大体の憶測だけど、10歳くらい逆行してるかなって思ってる。道場の柱のキズがそれくらいだったから。」

正守が言っているのは、毎年兄弟で付けていた柱のキズの事だろう。という事は今の正守は11歳くらいか。

ムカ。

何だよ、と良守は内心面白くなかった。4歳くらいは年下のくせに、この身長ってどういうことだ。俺と殆ど変わらないか、認めたくはないけど若干高いかもしれない。
兄は昔から体格が良かったし、兄が今の良守と同じ年の頃もっと身長があった事は分かっている。だけど年下の正守とまで同じくらいってそりゃないだろう。つくづく同じ遺伝子を受け継いだ兄弟なのだろうかと疑ってしまう。
父さんは背が高いのにな。っていうか母さんだって低い方じゃない。じゃあ俺は誰に似たんだ。まさか爺か。方印だけじゃなくて身長まで受け継いだのか俺。それって最悪すぎる。
ガックリと項垂れてしまった良守を、正守が不思議そうに見た。

「お〜い、良守大丈夫?」
「…大丈夫じゃないけど大丈夫。」

良守の言葉に正守は何だそれ、と可笑しそうに笑う。その笑顔にちょっとドキッとした。
正守が11歳くらいというと良守は4歳くらい。あの頃はまだ良守の修行も始まって間もない時期で、確かその頃まではまだ母さんも家にちゃんといたけど、俺は兄の後ろばかり引っ付いて歩いていた。正守も小さな良守の面倒をよく見ていてくれたと思う。でも流石に小さすぎてその頃の記憶は多少意図的に忘れようとしていた事もあって曖昧になっている。ちゃんと思い出せるのはそれから少し後、自分が正守に反抗し始めた頃の事ばかりだ。

「何か変な感じ。」

ポツリと呟いた良守の台詞に正守が苦笑した。確かに7歳上の兄がいきなり自分よりも年下になったのだ。いくら多少の不思議に慣れている身でも、戸惑わない方がおかしいだろう。確かに正守にとっても、いつもは見下ろしている良守と目線が変わらないというのは多少の違和感がある。

「今は良守の方が年上になっちゃってるもんな。って事は俺が弟になるのか。元に戻るまでは良守の事お兄ちゃんって呼ぼうかな。」

おお、それはなかなか新鮮だ。何かのプレイみたいで。
見た目とは真逆の邪心を隠しつつ、お兄ちゃ〜んと弟っぽく可愛らしく呼びかけると、良守はあからさまに嫌そうな顔をした。

「うわ、今脳みそがその単語を受け入れるのを拒否した。」
「酷いよ良兄。弟を可愛がってよ。」
「やめろ!利守がそう呼ぶ度思い出すだろっ!」
「もう。兄さんは我が侭だなぁ。」

拒否される度呼び方を変えてくる正守に、良守が涙目になる。もう勘弁してください、と訴えると正守は楽しげに笑っていた。ただいつもとは笑い方が違う。中身は紛れもなく21歳の正守なのに、その辺は子供の体のせいなのだろうか。クスクスと、どこか無邪気に笑いながら正守は良守にねだる。

「ねえお兄ちゃん、僕お腹空いた。甘い物食べたいな。」
「その喋り方やめたら作ってやる。」

睨みながら言う良守に、さすがにからかいすぎたかと正守も両手を挙げて降参してみせた。

「分かった分かった。いつも通りにするから何か作ってよ。」
「良いけど…。そういや父さんは?」
「宅配で原稿送るついでに買い物してくるって。食材が揃ってるから隣町のスーパーに行くって言ってた。ちなみにおじいさんは部屋に籠もってる。和尚から掛け軸用の書画を頼まれてるんだってさ。」
「そっか。じゃあ父さんが帰ってくるまでに作っちまおう。ちょっと待ってろよ。」

きっと張り切ってご馳走を作るつもりだろうから、台所を長く占領して邪魔をしたくない。今ある材料で何が作れるかなと頭の中で考えながら良守は台所に向かった。





結局おやつに作ったドーナツが完成した頃利守も帰ってきた。最初長兄の変わり様に目を丸くしていたが、事情を説明すると妙に現実的な利守はあまり取り乱す事もなくすぐに状況を受け入れる。その様子に良守の方が面食らったくらいだ。

「おいおい利守。何でお前そんなに冷静なんだよ。」
「だって元に戻れないっていうなら慌てるけど、今の姿は暫定的な事で薬さえできれば数日で戻れるんでしょ?それに中身まで11歳になったとか、記憶が無くなっちゃったっていうなら大変だけど、精神は21歳の正兄のままならそう問題も無さそうだし。」
「はは、さすが利守だな。状況把握が早くて助かるよ。」

平然としてる2人を見ながら良守は溜息をついた。2人がこんな様子だと、いつまでも戸惑っている自分が馬鹿みたいに思える。確かに数日すれば戻れるというのなら待つしか手立てもないのだろうから考えたって無駄だ。
テーブルに置いた出来立てのドーナツに目元を綻ばせる正守を見ながら、まあいっか、と思い直す。3人でいただきますと礼をしてドーナツに手を伸ばした。

「うわあ、ふわふわだ。良兄、おいしいよ。」
「うん。前に食べた時もうまかったけど、出来立てはまた違うな。」

うまいと喜んで食べる2人に良守も満足そうな顔になる。お菓子作りはそれ自体も楽しいが、やはり人に食べさせておいしいと言ってもらえると嬉しい。紅茶やミルク片手にぱくついていると、ふと思いだしたように正守が利守に尋ねた。

「そういえば利守。今日は帰り遅かったんだな。」
「え?あ、僕最近学校のパソコンクラブに入ったんだ。放課後週3くらい行ってる。」

だから遅くなるのだと言う利守の言葉に、正守が目を瞠った。

「へえ、最近の小学校ってパソコン置いてるって聞いてたはいたけど、クラブまであるのか。」
「うん。学年関係なく教えてくれるし面白いよ。」
「早くからやれば上達も早そうだなぁ。覚えておいて損はないから頑張りなよ。」

正守の言葉にうんと嬉しそうに頷く利守を見ながら、良守はふと気付いた。

「兄貴もパソコン使うよな。どこで覚えたんだ?」
「ああ、俺はやってる内に覚えたから、殆ど自己流なんだ。何しろ裏会にはパソコン教室なんて無いしさ。あっちは全てがアナログなんだ。事務処理にパソコンを使ってるのも、連絡に携帯を使ってるのも夜行くらいだよ。便利なのにな。」

頭の固い連中が多いから、と笑いながら正守は肩を竦めた。でもデジタル化された術者集団というのも何となく想像し難い。夜行がそうできているのは比較的若い術者だけが集まっているからとも言えるし、兄が頭領を務めているからこそ、そういう事が当たり前のように取り入れられているのだろう。
そんな会話をしながらおやつを食べていると大荷物を抱えた修史が帰ってきた。3人が仲良くおやつを食べている姿に嬉しそうにしながら、今夜はご馳走だからねと張り切る父に、兄弟も笑顔で応えた。





深夜、良守はいつものように烏森に行った。兄も行くと言っていたのだが、それは断固として断った。何故だか分からないけど、何となく今の正守を時音に見せたくない気がしたのだ。良守の強硬な態度に、正守は苦笑しながら行かないと約束してくれた。
小物の妖が数匹出ただけの割と平和な時間が過ぎて、良守と時音は今夜の仕事を早めに切り上げる事にする。お互いの自宅前で別れ斑尾が小屋に入って行くのを見届けて玄関を開けると、正守が出迎えてくれた。

「お疲れさん。」

担いだ天穴とディバッグを良守の背から取り部屋へと入りながら、寒かっただろ、と声をかけてくる兄に良守が口を尖らせる。

「兄貴こそ、こんな寒い所に突っ立ってるなよ。」

気遣う言葉に正守は嬉しそうな顔になった。

「お前が帰って来るのが待ち遠しくてさ。昼間はあんまり2人っきりでは話せないし、いちゃつけないし。」
「ば…っ!変なこと言うなっ!」
「変な事じゃないよ。せっかく帰って来てるんだから、少しでも長く良守と一緒にいたいじゃない。」

言葉と共に腕をひき、正守が良守の体を抱き寄せた。

「屈まなくても目線が同じってのも、意外と新鮮で良いね。」

正守の言う通り、ほぼ同じ身長になっている2人の目線はいつもより間近に感じる。その事が妙に気恥ずかしく思えて良守が目線をそっと逸らすと、その僅かに伏せられた瞼に正守は小さく口付けをした。ゆるく抱き締めながら腕の中の弟に問いかける。

「もしさ、本当に俺がお前の弟だったらどんな兄弟だったと思う?」
「そんなん今とたいして変わらねーだろ。」
「そうかな。」

そうだよ、と良守は口を尖らせた。

「お前の方が頭良くて術の覚えも良くて、弟のくせに兄貴面してんだよきっと。」

良守の言い草に正守がぷっと噴き出す。

「成る程。そして構ってる内に兄ちゃんな良守に惚れちゃうのか。確かに今と変わらないかもな。」
「惚れちゃうって、そうなるかどうかは分かんないじゃん。」
「分かるよ。弟になろうと俺だからね。」

どんな風になっても自分は良守に惹かれるだろう。そこに行き着くまでに多少の違いはあるかもしれないが、弟でも兄でも自分は自分でしかない。ならば愛するのなんて1人だけだ。

「立場が違ってもどんな風に出会っても、お前がお前である限り、俺はお前を好きになるよ。」

目を細めて言う正守の言葉に良守は一瞬呆気に取られた顔になったが、すぐに頬を真っ赤にして抱き締めてくれる胸元をぎゅっと掴み、その首筋に顔を寄せた。

「…お前ってほんとずりぃ。なんで俺が嬉しくなるような事ばっか言えるんだ。」

顔を伏せたままでそんな事を言う良守に、正守は体の力が抜けそうになる。

「お前こそ、なんでそんなにかわいい事が言えるんだろうね。」

もうどうしようもないとばかりに強く抱き締め、かわいくなんかねぇ!と怒鳴る弟の口を自らの口で塞ぐ。この体でできるかな、とか満足させられるかな、とも考えたりもしたが、なるようになるだろうとこんな時だけ妙にポジティブに行動に移す。いつもの正守と違うのがかえって羞恥と背徳心を煽るのか、やたらと恥ずかしがる良守に煽られて、正守も久しぶりの弟の躰を思う存分味わい尽くした。



解毒剤ができたのは3日後の事だった。烏森にいた良守達の前にムカデがやってきて、半ば強引に夜行へと送還される。戻った途端にやたらと苦くて異臭を放つ液体を飲まされた正守はそのまま眠りについた。気が付いた時には元の体に戻っていて、安堵すると同時に何となく溜息が出る。

「あの体だと、久々でも負担かけなくてすんで意外と良かったんだけどな〜。」という小さくも怪しげな呟きは、誰に何の、とは突っ込まずに流すことにした刃鳥だった。


















288888打、I彦さんからのリクエスト
リク内容は

「チビ正守(6〜9歳ぐらい)で正良」

でした

最初に謝っとこう。6〜9歳ってのが守れませんでした!
何となくとっしーより上の感じでしかイメージが浮かばなかった…。
ちびは本人でも式でも可とのことでしたので本人に。
意識を退行させるか迷ったのですが、大人のままにしました。
まっさんには色んな状況を楽しんでもらいたいので(笑)。
見た目は弟攻めになってる正良ってのも楽しいと思います(笑)。
まっさんが弟だったら確執もなかったのかもしれないけど
どっちにしろまっさんはよっし兄にメロメロになると思う。

I彦さん、楽しいリクエストありがとうございました!
遅くなりましたがどうぞお受け取りください♪



2008.4.12〜4.15

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