『今週の土日に休みがとれた。そっちに帰るからデートしよう』 そんなメールが入っていた事に気付いたのは、憂鬱な体育の授業が終わって着替えた時だった。座っていれば良い他の授業と違って、体育、特に球技の時は何があるのか分からないから式神は使えない。ボールでも当たれば衝撃で術がとけて紙に戻ってしまう危険があったし、そうならないように強度をあげれば、自分が疲れてしまうのでサボる意味がなくなってしまう。 本当は運動は好きなのだけど、仕事柄多少身体能力が人間離れしている自覚はあるから、不自然じゃない程度に手を抜かなくちゃいけないのも面倒だ。 ぐったりと疲れて着替えようとしたところで、学ランのポケットから僅かに漏れる光が目に入る。ピカピカと青く光るそれは紛れもなく着信ランプで、良守は慌てて携帯を手にトイレへと駆け込んだ。この携帯は兄からもらったもので他の家族にも番号は教えていない。もちろん電話してくるのもメールを寄こすのも兄だけだ。開いてみて、その内容に良守は目を見開く。 一瞬良守は自分が「デート」という言葉の意味を間違って理解しているのかと思った。だが何度考えても「デート」というのは恋人同士が一緒に出かけること、以外の意味が思い当たらない。見間違いかと見直した所で、画面に映し出される文面が変わる訳もなかった。 デート?って俺と兄貴が? どうにもピンとこなくて良守は首を捻る。 兄である正守とどこかに出かけた事など、これまであまりない。せいぜい小さい頃近所におつかいに行く正守に良守がくっついて行ったとか、公園に連れて行ってもらった記憶が微かにあるだけだ。あとはー、あの神佑地へ行った事と、そう言えば隣町のデパートにデザート食べに行ったっけ。あの時もデートだとか言って連れ出されたんだった。まだ付き合ってもいなかったのに。 そこまで思い出してから、あの時と今との相違点に気付く。確かに今は付き合ってて兄弟だけど恋人同士と言える関係で。そんな二人が一緒に出かければそれはデートという事になるのかもしれない。でも今さらデートって。どんな顔をすればいいというのだろう。 三日後の土曜日が来るのが楽しみのようであり、恐い気もする良守だった。 |
2008.3.13
『10時にM駅の東口改札前で待っててくれ』 金曜の夜の内に再度来た兄からのメールに書かれていたとおりに、良守はM駅へと向かった。自宅の最寄り駅から5駅のその街は、烏森よりも少し開けていて街並みも整っている。周辺には駅直結のデパートもあり人通りも多かった。 改札に向かって来る人波の邪魔にならない隅に立ち、兄の到着を待つ。こんな風に待ち合わせるのは初めてで変に緊張する。どこかおかしな所はないだろうかと鏡を見たくなったが、それは家を出る前に散々チェックしたから大丈夫なはずと思い直し、そんな考えがまるで女の子のようだと気付き赤面した。兄弟で出かけるのに服なんて関係ねーし、どんな格好でもいいだろ!そう自分に言い聞かせてみても恥ずかしさは消えないが、そこで無理矢理思考を切って周囲を見渡す。改札前の通路には弁当や新聞雑誌を売っているような店から、土産物屋なんかが並んでいた。通りの先まで見てから、そう言えば何故この駅を待ち合わせにしたんだろうと良守は思った。 正守はいつも蜈蚣に送らせて帰ってくる。真っ昼間だと降りられる場所は限られているかも知れないけど、だったら尚更この駅じゃなくてもっと人のいない所で待ち合わせれば良いのに。ここまで来るの大変じゃないんだろうか。 ぼんやりと人混みを見ながらやがて来るだろう兄の姿を探す。東口の出入り口からが人の流れが多い。やっぱこっちから来るかな、と背伸びしたりして見ながら、不意に改札口へと目をやった良守が目を見開いて固まった。そんな良守に気付くと、にこやかに手を挙げて近づいてくる人物、それは紛れもなく正守だった。 「よう、お待たせ。」 「…なんで改札から出てくるんだ?」 「なんでって、電車に乗ったからに決まってるだろ。」 「電車に乗ってって、蜈蚣さんは?」 「きのうまで隣の県で仕事だったから直接こっちに来たんだ。今日は完全にオフだし、蜈蚣に送らせるのも悪いだろ。」 「そりゃそうかもしれないけど。」 特急なら30分だし、と言う正守の言葉は尤もだと思う。だが移動というと蜈蚣というイメージがあるからだろうか。特急に乗る正守というのはどうにも想像が出来なかった。 複雑そうな顔をする弟の頭をぽんと叩き、正守が先を促す。 「こんな所で突っ立ってても仕方ないな。昼飯は混み出す前にどっか入るにしてもまだ早いし。まずはデパートでも行ってみる?ここのデパート、お前の好きなお菓子を作る器具なんかが結構揃ってるみたいだぞ。」 それはとても魅力的な言葉だったが、良守は無言で正守を見て、そして周囲を見た。案の定というかこちらをチラチラ見ていた人達と目が合ったり、慌てて逸らそうとする姿が目に入る。殆どが女性だったけど、男も数人いた。はあ、と溜息をついた弟を正守が不思議そうに見る。 「良守、どうした。」 「あのさ、兄貴。着替えとかないよな?」 「着替え?仕事着は先に持って帰ってもらったけど。何だよ、この格好変か?」 この着物、割と気に入ってるんだけどな〜、と残念そうな顔をする兄に肩の力が抜ける。 「変じゃねーよ。変じゃねーけど目立つんだよ!」 そう?と平然としている正守に、良守はガクリと頭を垂れる。むしろ変じゃないからこそ目立っているのだと、この兄が理解することはあるのだろうか。目の前の兄は渋い緑色をした千筋格子の木綿の着物に、縞模様の同色系の角兵児帯を締めていた。中に黒いパーカーを着ていていつもより少しカジュアルな感じがする。着物に洋服って意外だけどこういう着方も出来るんだな、と感心した。手にポーチを持ったその姿はいかにも着慣れている感があって落ち着いて見える。 只でさえ正守は、背が高く顔立ちもそれなりに整っていて独特の存在感がある。その上着物を着ていてそれが似合ってるとなれば目立たない方がおかしい。 何故この集中しまくった視線に気付かないんだ、と良守は内心嘆いた。これで相手が術者だったら微かな視線でも気付くだろうに。これはこの手の視線を集める事に慣れているのか、それともまったく眼中に無いのか、それとも…多分両方だろうという気がする。 別に自分が見られている訳ではないのだから開き直れば良いのかもしれないが、この視線に晒されながらこれからを過ごすと思うとちょっと憂鬱だ。…正直、とても似合ってると思うし、格好いいなとも思う。見惚れそうになったのは正守には内緒だ。それでもこれが家ならば問題ないけど、外となれば話は別だった。 はあ、とまた溜息をついた良守を見て、正守が苦笑する。 「分かった。じゃあ行き先フロア変更な。」 「え。」 グイッと腕を引かれ、正守に駅の構内を引きずられるように歩き、かえって人の注目を集めながら兄弟はデパートへと向かった。 |
2008.3.17
正守が良守と共にやって来たのはデパートの中の紳士服売り場だった。いかにも紳士服といったスーツやシャツから、カジュアルな店も並んでいる。土曜とはいえ開店してすぐの店内はそれほど人は多くなかった。きっと上の方の催事場に人が流れているのだろう。 数件の店を素通りして、「ここでいいか」と正守が選んだのは良守も何となく聞き覚えのあるカジュアルブランドの店だった。店内に入るなり目の前のTシャツを物色しだす兄の裾を良守はそっと引く。 「おい、もしかして服買う気かよ。」 「そうだよ。着替えはないのかって言ったのは良守だろ。」 「そうだけど、何も買ってまで着替えなくても…。」 「うんまあそうなんだけど、ついでだし」 ついで?と不思議そうに聞き返す弟に、正守は頷き答えた。 「俺達の仕事って、依頼があれば色んな所に行くだろう?何もないような田舎も多いけど、妖って人の集まるような所も好きなのもいるからさ、そういう所に出かける事もあるわけ。もちろん退治するのは殆ど夜だけど、強い妖の中には残留思念だけで昼間も人に何らかの影響を及ぼせる程の力を持つ奴もいる。だから昼間に偵察する事もあるんだよね。自分で確認した方が早いしさ。」 正守の説明に良守がへぇと呟く。強い妖の思念など残れば、ちょっと霊感のある人間は堪らないだろう。烏森に現れる妖は力を欲しているものばかりだから、烏森が一番力を発する夜にしか現れないしその時点で滅してしまう為思念が残るという事はない。キヨ子や黒芒楼の連中みたいなのもいたけど、キヨ子は自縛霊だし黒芒楼は例外中の例外だから参考にならない。 「そういう人の多い場所を真っ昼間に偵察する時、確かに着物は悪目立ちするらしくって。刃鳥にも洋服一式くらいは持てって言われてたんだ。」 だからちょうど良いかなって、という正守の言葉にそういう事情があったならと良守は納得した。 「じゃあ、どんなの買うんだ?」 買うとなると、普段見る事のない兄の洋装姿を見れる滅多にないチャンスだ。好奇心も手伝って良守も俄然乗り気になる。 「そうだな。あまり洋服増やしたくないし、今着てるパーカーも合わせて使えるのにするか。」 二人で店内を見ていると、どのような物をお探しですか、と店員が近づいてきた。 「今着替えたいんで、上下で欲しいんですけど。上はこのパーカーと合わせられる物を。」 正守の言葉に店員はにこやかに微笑んで奥の棚へと進むと、一枚の服を持ってきた。 「お客様には柄物より無地のシンプルな物がお似合いになりそうですから、こちらのニットなどはいかがですか?中に着てらっしゃるパーカーの上から着れますし、シャツやタートルと合わせたり、薄手なので春秋はこれ一枚で良いですから、一枚あれば着回せて結構便利ですよ。」 店員が勧めてきたのは薄いグレーのニットセーターだった。大きな編み込みがしてあって、首は深めのVラインになっている。そのシンプルで大人っぽいデザインは確かに正守に似合いそうだった。 「これ良いんじゃねーの?あ、でもズボンはどうする?」 「楽そうだからジーンズかな。季節問わないで着れるし。」 そう言いながら店の奥のスラックスコーナーに移動する。良守は棚に置かれたジーンズを手に取り広げてみた。兄の顔と見比べてちょっと首を捻る。どうもピンとこない気がして他を物色していると、正守がブラックジーンズを手にした。 「こういうのの方が好みかも。」 「こちらはブラックユーズドというお色なんですけど、ほんの少しだけ色落ち加工がしてありますから、重すぎず何にでも合いますよ。」 店員の説明通り部分的に色落ちされて薄くなっているそのジーンズは、他のよく見るブルージーンズよりも正守に合いそうだと思う。。 「それが良い。着てみろよ兄貴。」 良守の言葉に正守がちょっと笑って頷くと、店員が服を手にして試着室へと案内していった。店内をちらちらと見ながら良守は落ち着かない気分になる。兄が普通の洋服を着ているのを見たのは、正守が家を出る前、中学生だった頃が最後だ。それから久しぶりに帰ってきた時にはすでに和装が常になっていたのだから、実に6年ぶりという事になる。 試着室の中から僅かに聞こえる聞き覚えのある衣擦れの音に、訳もなく気まずい気持ちになりながら試着室を見ていると、やがてカーテンが開き正守が姿を現した。 |
2008.3.21
元々着ていた黒のパーカーの上にグレーのニットセーター、ブラックジーンズという組み合わせは、普段黒をよく着る正守によく似合っていた。長く和装ばかりだったとは思えないほど違和感無く着こなしている。 「まあ、背が高くてスタイルも良いから、凄くお似合いになってますわ。脚もとても長くていらっしゃるんですね。これでしたらジーンズの裾を切る必要がありませんから、このままお穿き頂けますよ。」 感嘆した店員の言葉はお世辞ではないとみえる。良守も心の中で同意した。背が高いのはともかく、着物では分かりにくい脚の長さがこれでもかってくらいに強調されて見えて、同じ男としては憎たらしい程だ。体に程良くフィットしたニットは体の線を強調してスッキリ見せていた。着痩せする質なのかこうして見ると随分と細く見える。 ー実際はすげー鍛えてるし、かなり筋肉付いてて逞しいんだけど。 と、ぼんやり考えてたらあらぬ場面の兄を思い出しそうになり、良守は一人慌てた。正守は鏡に映った自分をさっとおざなりに見てから、落ち着かない弟を振り返って問いかける。 「どう?良守。」 「え…っと、いーんじゃねーの?うん。」 少し赤くなった顔を誤魔化すように腕を組んで頷く良守。「じゃあこれでいっか。」と呟いて、正守は店員と話をし始めた。それから意識を逸らして良守は店内に目を向ける。 (あ〜、焦った。まだ顔赤くないかな) 近くにあった鏡を見れば、ほんのり顔を赤くした自分の顔が映っていて良守はまた慌ててしまう。ちろっと後ろを振り返ると、店員と話している正守の後ろ姿が目に入った。スラリとしたその姿は、後ろ姿だというのに目を奪われる。見慣れないだけにちょっと強烈だ。 (変に照れそう…) 所在なさげに店内を見回していると、正守が良守に声をかけた。 「良守。」 「ひゃ、な、何だ!?」 「…なに慌ててんの?」 不思議そうに聞く正守に、急に呼ぶからだ!と誤魔化した。ふ〜んと答えた正守の手にはスニーカーがあって、そう言えば靴がまだだったなと思い返す。正守が履いて来たのは草履だったから今の格好には似合わない。 「良守、これとかどう?スエードとキャンパスのコンビ使いだってさ。」 「へぇ。格好いいな。」 正守が見せたのは黒のスニーカーだった。全体はナイロンキャンパス地で、部分的にスエードの切り返しがある。カジュアルなスニーカーにしてはちょっと大人っぽい感じではあったが、それだけに格好いい。 「その格好にも合いそうだし、それで良いんじゃないか?」 良守の言葉に正守がちょっと笑って、違うよ、と答えた。 「違うって何が。」 「お前にもどうかって聞いてんの。お揃いで履こうよ。」 「へ?何だよお揃いって!」 「だってせっかく一緒に買い物来たんだしさー。これ、男女兼用でサイズが23pからあるんだって。お前何p?」 「え、23.5だけど…。っておいちょっと待てよ、俺はいいって!」 「まあまあ、ほら、色も3種類あるぞ。でも黒が一番いいかなぁ。」 「だから人の話を聞けよクソ兄貴!」 怒鳴る良守を無視して店員にサイズを確認していた正守だったが、不意に良守を振り向くと不敵に笑った。 「あんま文句言ってると、無理矢理お揃いのTシャツを着せて街中を歩くぞ。そっちが良いか?」 そんな兄の言葉に良守は慌てて首を振った。こいつはやる。やると言ったらマジでやる。兄弟でお揃いのTシャツを着て街を歩くなんて絶対に嫌だ。朝よりもっと視線を浴びること請け合いだ。しかも今度は痛い視線を。 「お兄さん、是が非でも買う気みたいですよ?もう観念して甘えちゃいなさいな。」 クスクスと笑いながら、店員は「では暫くお待ちください」と言って奥へと行ってしまう。バツの悪い思いでその後ろ姿を見送った。甘えるとかそういう話ではないのだが…。と一瞬思ったけど、もしかしたらそういう話なのかな、とも思う。 何も知らずに無邪気に兄を慕っていた頃とは違い、物心ついてからは反発してばかりだったから甘えるという事に慣れていない。もしかしたら普通の兄弟なら、それもこんなに年の離れた兄弟なら、こうして物を買って貰う事なんかも珍しくなくて普通なんだろうか。 考え込んでいたら、店員が箱を2つ手に戻ってきた。正守と良守のサイズの黒のスニーカー。促されて履いてみたそれは、軽いのに底のクッションが効いててとても履きやすかった。横で自分のを履いていた正守が良守を見て「うん、良いね」と微笑む。照れそうになるのを誤魔化す為に兄の足下を見ると、一回り以上大きなスニーカーが目に入った。色もデザインも同じだというのに、サイズがこんなに違うとパッと見別の靴のように見えるから不思議だ。というより、良守の方のがレディースっぽく見える。それに内心憮然としながらも、数歩歩いて履き心地を確かめた。鏡に自分の足下を映している良守に正守が声をかける。 「サイズは大丈夫そうか?」 ちょうど良いと答えた良守に頷いて、正守は店員に購入の意思を伝えカードを手渡した。正守の着ていた着物と良守の履いていたスニーカーを包んでもらい、買った方をそのまま着用する事にする。すぐにご準備致します、とレジ奥に行った店員を見送って店内を見回していた正守は、不意にガラスのディスプレイケースの上に並べられていたサングラスを手に取った。 「サングラスまでする気かよ。」 兄が手にしている細いフレームのサングラスを見て呆れたように言う弟に構わず、正守はそのサングラスをかけてみる。 「似合う?」 「…それはやめとけ。」 「あれ、似合わない?」 「似合いすぎてて胡散臭い。」 ハッキリと言う良守に、酷いな、と笑いながら正守はサングラスを棚に直した。楽しげな正守に、良守は気になっている事を尋ねる。 「なあ兄貴、本当にいいのか?」 「なんで?もしかして靴より服の方が良かった?」 「そうじゃねーけど、ここって高そうだから…。」 あのスニーカーは奥から持ってきてたし、良守は値札を見ていない。だが場所柄そう安い物じゃないだろうと察しはつく。申し訳なさそうな顔をする良守の額を正守が小突いた。 「馬鹿だねお前は。そんな事気にするな。たまにはお前とお揃いの物が欲しいなって思ったのは俺なんだし。」 むしろ付き合わせて悪いな、と苦笑する兄に良守は大きく首を振る。 「ありがとう、兄貴。」 良守の言葉に正守はおや、と思った。 「今度はやけに素直なんだな。それ、気に入った?」 「ちげーよ。つーか、もちろん気に入ったけど、そういうのだけじゃなくて…。その、兄貴が、俺と同じ物持ちたいって思ってくれた事が嬉しかったっていうか。だからそういうの全部含めてさ、言いたくなっただけ。」 しどろもどろになりながら懸命に言葉にしようとする良守の、その健気さと照れた姿の愛らしさに正守が動きを止める。 「良守…。」 「ん?なに…んぎゃっ!?」 いきなり思いっきり抱き寄せられて良守は何事かと慌てる。そんな弟を正守は遠慮無しにギュウギュウと抱き締めた。 「この…っ、なんって可愛い事を言うんだお前はっ!」 「ちょ、ちょっと何言って…。っていうか放せ!店員さんいるだろっ!」 「大丈夫。兄弟がじゃれ合ってるとしか思わないって。」 「男兄弟でどんなじゃれ合いだよ!いいから放せ!」 本気で嫌がる良守を渋々と放し、正守は溜息をついた。 「あ〜あ。煽るだけ煽っておいて放置だもんなぁ。実は良守ってサドっ気あるよね。」 「ワケ分かんねーこと言うな。俺は礼を言っただけだし、サドはお前だろ。」 「これだもん。天然ってコワイよ。」 態とらしく首を振りながら嘆く正守に、良守はべーっと舌を出した。その子供っぽく可愛らしい仕草に正守が苦笑していると、店員が紙袋を手に戻ってくる。 「大変お待たせ致しました。こちらにサインを戴けますか?」 ペラペラと長いレシートみたいな紙が2枚。正守はそれに名前を書き入れると、入り口まで、と促す店員と荷物を持とうとした良守を遮りさっさと紙袋を手にしてしまった。「ありがとうございました」とにこやかに挨拶する店員に、軽く会釈して歩き出した正守の後を追って良守も店を出る。 「兄貴、それ持つって。」 「冗談。こんな大きな紙袋、お前が持ったら引きずるだろう。」 「そこまでチビじゃねぇ!ってか、俺の靴も入ってるんだから。」 「俺の着物も入ってる。見た目よりは軽いんだから気にするなよ。それよりまだ飯には早いな。さっき言ってたキッチン用品のフロアが五階みたいだけど行ってみる?」 上を指差しながら言う正守の言葉に良守は頷いた。こういうデパートだと普段行くスーパーやホームセンターとは品揃えが違いそうだ。 正守の横を歩きながら期待に顔を綻ばす良守を、正守は嬉しそうに見ていた。 |
2008.3.26
結局、5階では何も買わなかった。正守は欲しいのがあったら買って良いよと言ってくれたのだが、靴も買って貰ったのにそう甘えるのもやはり気が引ける。何よりデパートに置いてある商品だからだろう、やたらとデザインがお洒落な感じのするそれらの道具はどうも馴染めそうになかった。あまり普段見ないから興味深かったし面白かったけど、実用一辺倒な良守は使う気にはならない。 キッチンフロアを一通り見終わると、時間は昼前になっていた。土曜の昼なんてどこも混むだろうし早めに食事する事にする。駅のロッカーに嵩張る紙袋を預け、せっかくだから普段家では食べない物をと正守が連れて行ってくれたのは、女性に人気があるというパスタの店だった。ピザとパスタのランチセットを頼み半分ずつ食べる。トマトクリームがたっぷりの魚介類のパスタも、チーズとルッコラ、トマトだけのシンプルなピザもどちらも美味しく、良守は満足だった。セットに付いていたドルチェは3種類から好きなのを選べるようになっていて、良守はズコットを、正守はチーズのムースを頼んでみることにした。 「うまっ!」 一口食べて目を真ん丸にして驚く良守に、正守が嬉しそうな顔になる。 「ここ、デザートが美味いって評判なんだよ。こっちのも美味いぞ、食べてみるか。」 コクコクと頷いて正守のムースも一口貰う。濃厚なチーズの風味がふわりと口に広がった。これもかなり美味い。 「すげーな。ちゃんとした専門のケーキ屋のより美味いかも。」 「気に入ったんなら、単品でデザートも頼んでみる?ドルチェセットだと3種類食べられるみたいだぞ。」 その魅力的な言葉に逆らえる良守ではない。追加で頼んだドルチェ盛りはガラスの器に入ったティラミスに横に添えられたビスコット、そして目を惹いたのが中央にどっかりと置かれた見慣れないものだった。店員の説明によるとジェラード・コン・ブリオッシュという物で、その名の通りブリオッシュというパンにアイスを挟んだものらしい。それを半分に切った物が2個分皿にのっていた。このドルチェ盛りだけでも結構なボリュームだ。 食べてみるとちょっと甘めのパンに少しラム酒を効かせたジェラードが合っていて美味しかった。見た目よりも意外に軽くて、一通り食べた後でもそんなにきつくない。 結局そのドルチェ盛りも正守と半分ずつ食べきってしまった。正守は見た目に反して良守と同じくらい甘い物が好きだ。だから良守が好きそうな菓子店をよく知っているし、土産の菓子は和洋問わずに美味いものばかりだったから良守も密かに楽しみにしている。食の好みが合っているって大事なんだな、と何となく思いながら良守は混んで入り口に待つ人で列が出来はじめている店を、正守と共に後にした。 腹も落ち着き一段落してから腹ごなしに辺りの店を物色する。天気も良い土曜の昼、通りは人が多く少々歩きづらい。と、良守の肩を正守が引き寄せ人の流れから庇った。何も言わずさり気ない仕草のそれに、良守は何だかくすぐったい気持ちになる。 サンキュ、と小声で礼を言う良守に正守が優しく微笑む。その途端、どこからかきゃあという歓声が聞こえて良守が辺りを見回すと、少し離れた所にいた若い女性二人組と目が合った。こちらを、というよりも正守を見ながら何かを言っている。その赤い顔は紛れもなく兄に対する好意を物語っていて良守は憮然とした。 今さらだけど、正守を着替えさせたのは失敗だったかもしれない。着物姿だって目立ったけど、年不相応の落ち着きがあったから、周りの目だって羨望の眼差しが多かった。でも今の正守は年相応の格好良さで別の意味で目立っている。兄が格好いいというのは誇らしいし自慢だったりするけど、不躾に見る存在には腹立たしい思い方が先に立った。特に女性達の好意的な目には苛立ちが募る。思わず怒鳴ってしまいそうになって、良守は奥歯を噛み締めた。気を弛めると変な事を言ってしまいそうだ。 見るな、と。そんな目でこいつを見るなと叫びたい。そんな幼稚な独占欲。 ガキだな俺、と落ち込みそうになって俯くと、ポンと頭を叩かれた。そのまま置かれた大きな手の温もりに胸が熱くなる。 きっとこの聡い兄には、良守の中の色々な事が分かってしまっているのだろう。この兄を誰にも渡したくないと思う独占欲と、隣にいるのが自分で本当に良いのかという思い。男同士で兄弟で、その事実は一生変わらないからこその葛藤。 だけど、それは兄だって一緒なのだ。だけどそれでも正守は良守を選んでくれた。ならば堂々と正守の隣に並んでいたい。 見上げると自分を優しく見て微笑む正守の顔がある。行こうか、と差し出された手と正守の顔を交互に見返した。こんな所で手を繋ごうというのだろうか。そんな恥ずかしいこと、と一瞬思ったけど、にこにこと微笑む正守の顔を見ていたら多少の恥くらいどうでもいい気がしてきて、兄の手を取る。 「帰りに家へのお土産買いたいな。なんにしよっか。」 そんな事を言いながら、正守が良守の手をぎゅっと強く握り締める。その力強さが嬉しくて、このままずっといられたら良いのに、と良守は思った。 |
2008.3.30
その後いくつかの店を周り、最後にデパ地下に寄って家へのお土産として豆大福とシュークリームを買ってから二人は帰路に着いた。 「買いすぎじゃねーの、これ。」 手にした紙袋を見ながら良守が言う。それぞれ5個ずつ入ったそれは、どちらも「本日中にお召し上がりください」の類の食べ物だ。ひとつは夕食後のデザートに食べるにしても、もうひとつまでは無理じゃないかとちらりと思う。 「大丈夫だよ。それ、どっちも見た目より軽いから。残ったとしても、冷蔵庫に入れとけばすぐにはいたまないさ。」 うちはみんな甘いもの好きだし、と言う正守に良守もそれ以上は言わない。確かに我が家は男所帯だと言うのにみんな割と甘い物が好きだ。繁守はケーキを「西洋かぶれの食べ物」と馬鹿にしているが、本当は嫌ってないのはそれらの物を捨てずに食べてしまう事からも分かる。結局は正守の言う通り食べてしまうんだろうな、と思った。 「それにしても今日は楽しかったなぁ。良守、また行こうな。」 正守のストレートな言葉に、良守は少し頬を赤らめて俯き、それからコクリと頷いた。それを嬉しそうに眺めてから、正守は不意に腕時計を見る。楽しい時間はあっという間に過ぎて、もうそろそろどの家庭でも夕食の仕度が始まる頃だ。 「昼寝してないから、お前眠いんじゃないか?一日引っ張り回しちゃったし疲れただろう。」 今夜は俺が代わろうか、と言う正守に良守が首を振った。 「夕飯の後に仮眠取れば平気だよ。全然疲れてねーし。それに引っ張り回したとか言うな。…また行くんだろ?いちいち気を使うなよ。」 ちょっと拗ねたように口を尖らせて言う良守に、正守が驚いたように目を開き、「そうだな」と嬉しそうに微笑む。嫌がってないこと、一緒に行きたいのだと望んでいることが伝わってくるから嬉しい。 にこにこと上機嫌の正守に、良守は何だか照れくさいような変な気まずさを感じてますます唇を尖らせた。それからあっと気付いたように正守を見上げると、小さな紙袋ごと兄を指差す。 「兄貴。出かけるのは良いけど、次からは和服でな。」 洋服は仕事着だけにしろ、という唐突な弟のその言葉に、正守は一瞬キョトンとした顔になる。 「和服だと目立つって言ったのは良守だよね?」 「言ったよ!言ったけど、お前の場合洋服でも目立つって今日のでよっく分かった。同じ目立つなら和服の方がまだマシだ!」 「なんで?どっちかって言うと、同じ目立つなら洋服の方がマシなんじゃないか?」 目立っていたかはよく分からないが、確かに視線は感じた気がする。だがそれは着物の時も同じだったから、街中に出かけるなら今日みたいな格好の方が自然なんじゃないだろうか。正守はそう思ったのだが、良守には違うらしい。 「兄貴は着物着てるのが当たり前だったから、洋服だとなんか落ち着かないんだよ。」 気まずそうに視線を反らす弟の頬がほんのりと赤い。だから「落ち着かない」というのがどういう意味なのか正守は何となく察した。 「…惚れ直したか?」 そっぽを向いていた弟に顔を寄せ、耳元でそっと囁くと一瞬何を言われたのか分からなかったのだろう。良守は正守を見上げ、それから我に返ったのかボッと真っ赤になった。 「な、なななに言ってんだっ!」 「だって落ち着かないって照れくさいとかそういう意味だろ?お前、今顔真っ赤だよ?」 「うっせー!自惚れるなよクソ兄貴!」 「ククッ、お前って本当に可愛いね。」 余裕の表情で頭を撫でられて、良守はますます真っ赤になったが兄は楽しそうに笑うばかりだ。 悔しい。いつだって良守ばかりが翻弄されて。ちょっといつもと違う格好とか、優しい仕草とか微笑みとか、そんな他愛ないことで何度も好きになっていくのに、兄は飄々としてるばかりだなんて。 釈然としない気持ちで憮然とする良守に気付き、正守は苦笑した。まったくこの弟ときたら。喜怒哀楽がはっきり顔に出るその素直さは、正守が十の昔に忘れ捨て去ったもので、それをいつまでも持ち続ける弟が愛しくって堪らない。変わらないで欲しいと願ったその真っ直ぐな心が愛しい。 拗ねてしまった弟の頭をもう一度撫でる。そろりと下から見上げてくる良守に、多分弟が弱いであろう顔で微笑んだ。案の定また顔を赤らめた良守の頬にキスをすると弟は目に見えて狼狽える。 こんな場所で!とわたわたする姿の可愛らしさに和みながら、「大丈夫だよ」と二重の意味で正守は告げた。 「俺なんか会う度にお前に惚れ直してるからさ。」 繰り返し繰り返し何度でも、会う事に好きになっていく。生まれた時から知っている相手なのに、いつもと同じ、いつもと違う表情を見せられる度に惹かれていく。ちっぽけなこの心に際限がないくらいに隙間なく詰まっていく想い。それが自分を動かす原動力だ。 正守の言葉に良守はさっきよりも真っ赤になって俯き、「やっぱ、自惚れても、いいぞ」と切れ切れに小声で言った。 それが何を意味しているのか気付いて正守は満面の笑みを浮かべると、照れて顔も上げられない弟に素早く屈み込んでキスをした。 |
2008.4.3
Novel