六年越しのHappy birthday



ヴヴヴ、と響く振動。正守は懐の携帯に手を伸ばした。開いたディスプレイには彼の右腕とも言える刃鳥の名前が表示されていて、何かあった事を悟る。
何しろ今、正守は実家に帰省中だった。こういう時彼女は定時の連絡すらしてこない。ちゃんと休暇を取れと正守の体調を気遣う彼女だから、実家への帰省は大賛成なのだ。
連絡なしは異常なし。そんな暗黙の了解があった。その刃鳥がこうして電話してきたという事は、余程の事があったのだろう。立ち上がり縁側で受話ボタンを押した。

「刃鳥?どうした。」
『頭領、お休みのところに申し訳ありません。実はー。』

会話が進むにつれ、どうやらこれはいったん戻るべきだと判断する。と何やら背中に痛いくらいの視線を感じた。どうしたもんかな、と考える。じっとりと重い、視線に力が宿るなら射殺されそうなそれは、間違いなく弟のものだろう。
つい30分程前、取り留めのない話の最中に眠ってしまった弟。目覚めたばかりのその機嫌が、急降下しているのが分かる。一瞬、部屋を移動して電話を取れば良かったかと考えたが思い直した。どうせ結果は同じだ。先延ばしになるだけで。
蜈蚣を迎えに寄こしてもらう事にして電話を切った。さて、これは少々気合いと覚悟が必要だ。

「−良守?」
「知らね。さっさと戻れば?俺部屋で寝るから。」

振り向くと同時に思いっきり顔を逸らされ、それだけ言い捨てると、良守はさっさと部屋を出てしまう。その後ろ姿に伸ばしかけた手を虚しく降ろした。弁解の余地もない。
何てタイミングが悪いんだと正守は溜息をつく。寄りによって何で今回に限ってこんな事になるんだろう。いつもの帰省なら別に、こんな自体が起こった所で良守だって機嫌を損ねたりしなかっただろうに。
今回は特別だったのだ。だからこそ随分前からスケジュールの調整だってしていた。
そんなに俺って、日頃の行い悪いかな。思い返してみるとそれなりに思い当たる事が多くて軽く凹みそうになる。
明日は弟の誕生日だから、一緒に出掛ける予定になっていたのに。





心残りはあったけど我が家をあとにする。こうなったらさっさと厄介事を片付けてしまうしかない。頑張れば何とか、せめて日付が変わるまでにまた帰れるんじゃないかと、食事も後回しに奮闘した。その結果とっぷりと日が暮れた頃、奇跡的にトラブル解消に成功する。
細かい点は刃鳥に任せて蜈蚣を呼び出す。自力で帰る事も出来るが、それでは時間が掛かりすぎて今日中には無理だ。

「悪いが飛ばしてくれ。」

蜈蚣を急かしながら、心はすでに烏森に飛んでいた。







約一日振りの実家は静まりかえっていた。深夜だから当然の事。だがまだ日付は変わっていない。
良守が烏森に向かうのは午前過ぎだから、そろそろ準備をしている頃だろうか。
まずは約束を破った事を謝らなくちゃな、と弟の部屋へと向かう。

「良守、起きてるか。」

襖越しに声を掛けても返事はなかった。まだ怒ってるだろうとも思ったが、部屋の中に人の気配がない事に気付く。そして同時に隣の部屋ー、正守の部屋に人の気配を感じた。もしやと思って自室の襖を開けると、目に飛び込んで来たのは部屋の中央で寝ている良守の姿だった。

昨夜使われなかった布団は畳まれたまま。そこに寄りかかるように、正守の枕を抱えて眠っている良守。

一瞬ポカンとして、だが状況を把握した正守の顔にふと安堵の色が浮かぶ。
そっと足音を忍ばせて眠る弟に近づいた。横に座ってもよく寝ているようで、気付く様子はない。まだ幼さの残る寝顔を見れば、顔が弛んでいくのが自分でも分かる。

ともすれば冷えて固まってしまったんじゃないかと思う事もある己の心が、温かく溶けていくのを感じるのはこんな瞬間。お前の隣でなら自然と力を抜く事が出来る。そして気付かぬ内に、どこにいても気を張りつめている自分を知るのだ。

薄く開いた口から微かに聞こえる小さな寝息。静かに上下し波打つ胸。無防備に眠る姿が愛しいと心から思った。
お前という存在を形作るもの全てが、こんなにも大切に思える。
お前という存在そのものが、俺にとっての奇跡だ。



そろそろ起こさないといけない時間だった。だが眠る良守が可愛く思えて、起こすのが勿体ない。
しかし無理をしてようやく今日中に戻ったのに、日付が変わってしまってはその意味もない。
どうしようかと悩んでいた正守だったが、それは杞憂に終わった。
意外と言うか仕事に関しては勤勉な良守は、朝は寝坊する事はあっても、夜仕事に行く時に寝坊する事は殆どない。

「ふ…ぅ。」

体内時計の知らせをうけて、良守の思考がぼんやりと目覚め始める。うっすらと目を開ける様を正守は見つめていた。

「あれ、兄貴…?」
「ああ。」

目にかかりそうな髪を大きな手がかきあげる。その温かな感触にうっとりと目を閉じかけてー。
次の瞬間、良守は勢いつけて起き上がった。

「ななな、なんで兄貴がここにいるんだっ!!」
「なんでって言われても、ここ、俺の部屋だし。」

平然と言われて良守は、へ?と間抜けな声を出し、周りを見渡す。そして自分がガッチリと抱えた枕に気付いた。
家具など殆ど無い部屋。自分のお気に入りとは違う感触の、明らかに良守の物ではない枕。

「うわあああああっ!」

それまでの経緯を思い出し、慌てて枕を放り出して後退る良守。それを見た正守が堪えきれずに吹き出した。肩を揺らして笑い続ける正守に、良守が悔しそうに怒鳴る。

「〜〜〜笑うなっ!」
「いや、ごめんごめん。あんまり良い反応だったからさ。」

謝りながらも笑う正守を、良守はバツの悪そうに睨むとプイッと顔を背ける。その顔は真っ赤に染まっていた。そんな弟を楽しげに見ていた正守だったが、次第に苦笑いになる。気配が変わった事に良守が訝しげに正守を見た。

「ごめんな。」

先程とは重さの違う謝罪の言葉。何に対してのそれか、良守もすぐに気付く。

「…謝んなよ。俺だって仕事だから仕方ないって分かってるし。」
「そうなんだけど、約束破ったのはやっぱり俺が悪いから。」
「何だよ兄貴、変だぞ。妙に素直すぎ。」
「そうか?最近俺って結構素直な方だと思うぞ。少なくともお前に対しては。」

兄の言葉に良守は言葉に詰まる。確かに昔は本音を見せなかった正守だったが、今は隠す事をしない。素直というのはちょっと違う気もするけれど。でもこんな風に謝ってくれた正守を、いつまでも気遣わせたくもない。良守は軽く息をついた。

「よく一日で帰れたな。電話の感じじゃ厄介そうだったのに。」
「ああ、まあそれなりに何とか。」
「お前がそれなりにとか言う時って、結構大変だったんだろ。無理したんじゃねーのか。」

核心を突いてくる弟の言葉に、正守は苦笑した。
もうこいつに隠し事は出来ないなぁと、困ったような嬉しいような気持ちになる。
誰よりも大切な人が誰よりも自分を解ってくれている、というのは何とも面映い気分だ。
そんな良守だからこそ、今日は一緒にいたかった。それが駄目だったのだからせめてこれだけはー。

「誕生日おめでとう。」

ギリギリ間に合った、と正守が微笑んだ。

「良かった。ちゃんと今日中に言えて。」

正守の言葉に、良守が一瞬呆気に取られる。

「…まさか、それ言いたくて無理して帰って来たとか。」
「だって何年も言えなかっただろ。今年は直接言いたかったんだ。」

15歳で家を出て裏会にいった。帰ってくるのは数年に一度。この6年程は、弟の誕生日に家にいた事などない。だから今回こそはちゃんと祝いたかった。今迄言えなかった想いも込めて。
良守の両手を取る。軽く握られた拳に口付けた。

「俺の弟に生まれてきてくれて、ありがとうな。」

正守の言葉に頬を赤らめながら、でも良守は少し考え込んで言った。

「…弟で、よかったのか?」

その言葉に正守は顔を上げた。戸惑いが混ざる少し寂しげな表情に、弟の言いたい事を悟る。
同じ血を持つ同性同士。その事に良守は罪悪感でも持っていたのか。
そんな事くそくらえと思う正守は、良守が弟じゃなかったら、だなんて考えた事もない。

「弟でよかったんだよ。だって誰より最初に会えたんだから。」

例え赤の他人に生まれても、きっといつか俺は良守に辿り着いたと思う。
だけど兄弟だったからこそ、良守が生まれた時からを知る事ができた。
血の繋がりなんてあってもなくても、出会ってしまえば俺は、「良守」が「良守」である限り惹かれただろう。そんな絶対的な相手を前にして、世間が勝手に決めた禁忌なんぞは何の意味も持たない。
目の前のまだ細い体をそっと抱き寄せる。
こんな風に過ごせる時がくるなんて、気持ちに気付いた頃には考えられなかった。
時に眩しく感じる程輝いて見えるこの腕の中の命は、正守を突き動かす希有な存在だった。

「良守は後悔してるのか。」

その言葉に良守は即座に首を振り否定した。ぎゅっと正守の着物の胸元を握り締める姿が愛しい。

「お前が俺を心配してくれてるのは分かるよ。でももうそんな事考えるな。大切なのは俺達の気持ちだろう?」

良守が弟である自分で良かったのかという問いは、そのまま兄である正守で良かったのかという問いになる。お互いがお互いを心配していては堂々巡りだ。それはもう、手を取り合った時点で消失したと正守は考えている。大切なのは、良守が幸せになる為に、そして二人がこれから幸せにいられる為にどうすべきかだと思う。
正守の言葉に良守が頷いた。微かに肩口が震えているのは、泣くのを堪えてるのかもしれない。
そんな健気な仕草に苦笑して、正守は良守の髪をそっと撫でた。

「良守、明日仕切直ししようか。」

え、と僅かに顔を上げた良守に、正守が楽しそうに言う。

「一日遅れたけど、予定してたプレゼント買いに行こう。」

お昼ご飯も好きな所に連れてくよと言えば、良守が即座に反応した。

「ケーキバイキング行きたい。新しく出来たとこの。」
「どこでも良いよ。良守の行きたい所なら。」

その途端破顔する良守を見ながら、正守も微笑んでいた。


お前が笑ってくれれば、それだけで俺は幸せだと思える。
泣くのを堪える事を覚えてしまったお前に、出来るだけ辛い事が起こらないように。
本当は甘ったれで泣き虫のお前が少しでも安らげるように、その為に俺がいるから。
どうかいつもそんな風に笑っていて欲しい。

祈るような気持ちで、腕の中の小さな体を抱き締める。
すぐに背に廻された縋るような手の力に、良守の気持ちを感じ取って。
正守は抱き締めた腕に力を込めて、その想いに応えた。




















25万打リクエストその6 
…だったのですが、どうしても書けそうになかったので
代わりといってはなんですがこちらを捧げます。
ちなみにリク内容は「良守のクラスメイト絡みの正良。」
なんで書けなかったかというと、似たような感じのを前に書いてたので。
リク変更のお願いにお返事を頂けなかったのでこちらでご勘弁ください。
○りさん、もし変更のリクがありましたら今からでも受け付けます〜。



2008.1.9

Novel