幸せ味のミルク・タルト






うちは多分きっと、色んな意味で他の家とは違うと思う。
まず家業からして変わってる。お父さんは小説を書いてるし、お爺ちゃんは書道家だけど、一番大切な家業は結界師として烏森を守ること。こんな家は隣の雪村家と共に、全国規模で珍しいだろう。
お母さんは離婚してる訳でもない(むしろお父さんとは今だに仲が良い)のに普段家にいない。最後に帰って来たのなんていつだったのか、息子の僕も覚えてないくらいだ。確か1年は経ってないと思うんだけど。
3人兄弟ってのも今時珍しいんじゃないかな?少なくとも僕の学年には男だけの3兄弟は僕だけだ。しかも一番上の長兄とは12歳も離れてる。その下の次兄とでも5歳差がある。

こういう家に生まれ育ったせいなのか、最近、自分の感覚が世間とはずれてるのかな、と思うようになった。
少なくても普通の感覚なら、長男と次男が恋人同士になりました、だなんて平気でいられないんじゃないかなって。





「正兄、帰ってたんだ!」

玄関に置かれた大きな草履。見慣れた祖父の物とは違うそれに、一目で長兄が帰ってきたことに気付いた僕は居間へと向かった。

「お帰り利守。元気そうだな。」

振り返って笑う正兄に、嬉しくなって傍に駆け寄る。僕はこの長兄が好きだった。年が離れているからか正兄はいつも僕に優しくて、小さな僕の面倒を良く見てくれて。だからいなくなってしまった時とても哀しかったのを覚えている。
それから数年が経って、この所里帰りする回数が増えてきた。僕としては単純に嬉しい。
正兄が帰ってくるって知ってたら、図書館には寄らなかったのになと思いながら居間を見渡す。変だな、良兄がいないや。
以前だったら、正兄が帰ってきた時に良兄がいないなんて当然だった。大抵寝ると言って部屋に籠もってしまっていたからだ。でもここ最近はそういう態度も軟化してきていた。…こういうのを軟化っていうのかは知らないけど。

「良兄は?」
「台所にいると思うよ。お爺さんが出掛けてて帰りが夜になるから、今の内にお菓子作るんだってさ。」

正兄の言葉にふ〜んと答えた。お爺ちゃんがいないからって言うより、正兄がいるからなんじゃないのかな。そんなことくらい正兄も気付いてるんだろうけど。
まあいっか。良兄がいないなら遠慮無く正兄に遊んでもらおう。

「ねぇ正兄。碁の相手してくれない?」
「囲碁かぁ、良いよ。でも宿題とかは大丈夫なのか?」
「うん、学校の図書館ですませちゃったんだ。」
「なら鞄を部屋に置いておいで。準備しとくから。」

正兄の言葉には〜いと返事をして、僕は急ぎ足で隣にある自分の部屋へと入って荷物を置いた。それからさっきは思わず居間へと直行してしまったから、手を洗おうと洗面所へと向かう。その手前にある台所を覗いてみると、楽しそうに、でも真剣な顔をした良兄がいた。
何を作るつもりなのかな。気になったけど声をかけるのはやめておいた。集中してるみたいだし邪魔しちゃ悪いよね。
手を洗って居間に戻ると、正兄が碁盤を出してくれていた。その向かいに座って「お願いします」と礼をすると、正兄も楽しげに「お願いします」と答えてくれる。碁盤には置き碁があった。当然僕が黒石をもらう。

「利守は、将棋だけじゃなくて碁も打つようになったんだな。」

白石を指で玩びながら正兄が言った。それに頷きながら僕も黒石を握る。

「お爺ちゃんに教えてもらった。でも難しくて、まだよく分からないんだ。」
「まあ囲碁は確かに難しいよね。まずはとにかく定石をたくさん覚えたら良いよ。良い手筋を覚えるだけでも勉強になるから。」

ピシっと部屋に碁石を打つ音が響く。僕は碁のこの音が気に入っていた。将棋を指した時のパチっという音とも違う、石独特の硬質な音は、その場の空気を引き締めてくれる気がする。

「そうだ利守。俺の部屋の押入に何冊か囲碁の本があるから、その内読んでみなよ。」

後で持っていけば?と言う正兄に、僕は顔を上げた。

「いいの?」
「良いよ。多少古い本だけど初心者向けのもあって解りやすいし、定石もかなり載ってるから全部利守にあげるよ。読み終わって邪魔になったら捨てるか、また押入に入れといてよ。参考になるようだったら取っておけばいいしさ。」
「読む読む!ありがとう正兄。学校の図書館には囲碁の本が3冊しかなかったんだ。お爺ちゃんの本は何だか難しそうだし。」
「お爺さんのは好みが入っちゃってるからなぁ。あれで覚えたら偏りそうだ。」

ははは、と笑う正兄に僕も楽しくなって笑った。

こうして見ていると、正兄は大人だなって思う。普段から着物を着ているからとかではなく、年不相応の落ち着きがあるというか面倒見も良い。多分その辺は僕や良兄みたいに年の離れた兄弟がいたから、っていうのも大きいんだろうけど、それより生まれ持った長男気質なんだと思う。以前烏森に敵が攻めて来た時、夜行のみんながこの家に集まったけど、その時の様子で正兄がみんなに慕われているっていうのはよく分かった。それにちょっとだけ、正兄を取られちゃったような疎外感みたいなものを感じたけど、でもそれは多分仕方のない事なんだろう。それよりも、正兄が沢山の人に慕われているって事の方が嬉しかった。

強くて頭が良くて、優しくて厳しい。背もすっごく高いし、女の人にもモテそうだなって思う。だけど…。そこまで考えて僕の手は止まった。

こんなに傍目には完璧に見える正兄。だけど烏森は正兄を継承者には選ばなかった。選ばれなかったけど正兄は自力で強くなった。同じように方印が出なかったけど、僕は正兄のようにはなれないって分かっている。それでも正兄は憧れと尊敬と目標の存在だ。そんな人が唯一執着したのが良兄だった。だけどそれは、良兄が兄弟の中で唯一方印を持つ、正統継承者だったからという理由だけではないはずだ。

例えば、もし僕に方印があったとしても。きっと正兄は僕に執着したりはしないと思う。それは僕と良兄の生まれた順番が逆だったとしても、良兄に方印がなくて僕だけにあったとしても変わらないんじゃないかな。
人に惹かれるってそういうことなんだろうって、2人を見ていると思う。理屈とか常識とか、そういうのはこういう時には無意味だ。

随分長い間複雑な感情のままで。お互いを凄く気にしてたのに、どっちもそんな素振りは見せずに少しずつ広がっていた距離。
僕はいつも、余裕の表情を崩さないで本心を隠し続ける正兄の姿も、自覚の無いまま時々苦しげに正兄の背中を見ている良兄の姿も見るのも寂しくて、でもずっと何も言えなくて。だから今の状態を素直に嬉しいと思えるのかもしれない。

普通に考えたら、どうしてって思うのかも知れないことでも、僕は何となく納得していた。正兄と良兄は正反対の対局みたいで、だけど対みたいな印象を感じるから。違いすぎるところとよく似た所。反発しながらも惹かれ合ってる。
それは頭で考えるよりもどこか体の奥で感じていた。2人がこうなるよりもずっと前から。
だから実際2人の関係に気付いた時、すんなりと受け入れられたんだと思う。どころかそれを、どこか当然のことのように受け止めていた。同時に良かった、とも。僕は年の離れた優しい兄達が大好きだったから。
だってちゃんと聞いたことはないけど、今の2人が無理をしてないことも幸せそうなことも感じるから。だから僕はそれで充分だって思う。

「ー利守?」
手を止めてしまった僕に、正兄が気遣わしげに声をかけてきた。どう打とうかなって考え込んじゃった、と言ったら、こんな序盤で長考か?と楽しげに正兄が笑う。

「考えるよ。正兄が相手だもん。」
「おいおい、俺はお爺さんと違って、そんなに強くないぞ。」

だからもっと気楽に打て、と言われて僕は一瞬だけ迷って黒石を置いた。時々正兄がアドバイスしてくれるのを聞きながら打っていると、台所から甘い匂いが漂ってくる。もうそろそろ出来上がるのかな、と思っていたら良兄がひょっこりと居間に顔を出した。

「お、利守帰ってたのか。お帰り。」
「ただいま良兄。帰ったのは30分も前だけどね。」
「そうなのか?全然気付かなかった。」

そうだろうね、と小声で呟くと、正兄がプッと吹きだした。その様子に良兄が口を尖らせる。

「なんだよ。」
「いいや、何でもないよ。それより随分良い匂いがするけど、ケーキ出来上がったのか?」

『良い匂い』と言われて、良兄の機嫌が一気に直った。う〜ん、我が兄ながら単純だ。一瞬、正兄が少し口の端を上げたのにも気付かず、良兄は浮き浮きしている。こんな良兄を見ながら正兄は何て思ってるんだろう。「容易いやつ」、か「可愛いやつ」、かな。それとも…両方かな、多分。

良兄は「ちょっとお前ら2人とも休憩しろ。」と言って台所へと戻っていった。そして再び姿を現した良兄は、湯気を立てた良い香りの元を手にしていた。すでに切り分けてあるそれを、一切れずつ皿に乗せてテーブルに置く。一見するとベイクドチーズケーキみたいに見えるけど、チーズの匂いはしなかった。それよりももっと優しい甘い匂いがするケーキ。率直に聞いてみる。

「これ、何てケーキ?」
「フラン・オ・レって言う牛乳のタルトだよ。前から作ってみたいとは思ってたんだけど、結構時間がかかるケーキだから、こういう機会でもないと作れないんだよな。」
「何に時間がかかるの?中のクリームが難しいとか?」
「いや、その辺はシンプルなんだけど、この手の生地は美味しく作ろうと思ったら生地を寝かせた方が良いんだ。だから手早くって訳にもいなかくてさ。」

そう説明する良兄は、出来映えが気に入っているのか、それともやり遂げた達成感からなのか、ケーキを取り分けながらも満足気な顔だった。六等分して皿に乗せてくれたケーキは、どちらかというと洋菓子よりは和菓子が好きな僕の目にも美味しそうに見える。
いつも思うんだけど、良兄のお菓子ってもう素人の域を越えてるんじゃないだろうか。好きこそ物の上手なれ、という諺がピッタリだ。
機嫌の良い良兄が、甲斐甲斐しいと言ってもいいくらいにウーロン茶まで入れてくれた。目の前に差し出されたそれを、僕と正兄は切り分けて口に運ぶ。一口目でもすぐその美味しさは分かった。匂いの通り優しい味。

「へえ、美味いな、これ。」

中のクリームが良いね、と正兄がそう言った瞬間、良兄は嬉しそうにはにかんだように微笑む。良兄のそんな顔、僕は今まで見た事がなかったので驚いた。

「そっか、美味いか。」

へへ、と照れたような笑みを浮かべる良兄を、正兄が微笑みながら見ていた。その正兄の顔も今まで見ていた、僕やお父さんに見せていた笑みとは違って凄く穏やかな表情で、何だかチクリと胸が痛む。
僕はまだ恋というものを知らない。だからこんな風に、家族に見せるのとは違う顔を見せる2人に、少しだけ疎外感を感じてしまう。

大体さぁ、2人して何だよ。僕がいるの分かってる?っていうか、これってもしかしなくても僕お邪魔虫状態?
何だか馬鹿らしくなってきて、僕はお皿とコップを持って立ち上がった。

「おい、利守どうした?」

不思議そうに問いかけてくる良兄に、僕は態とにっこりと笑った。

「宿題、もうひとつ出てたの忘れてた。ケーキありがとうね、良兄。美味しかったから部屋でゆっくり食べさせてもらうよ。」

正兄もまた今度囲碁の相手してね、と言いながらちらっと目配せすると、正兄が苦笑するのが分かった。どうやら僕の言いたい事は伝わったようだ。良兄はそんな僕らのアイ・コンタクトに気付かずキョトンとしていたけど、構わず部屋をあとにした。





居間の隣にある自室に戻り、机に座るとまたケーキを食べてみた。うん、やっぱり美味しいや。あのまま2人に挟まれて食べるより、こうして食べた方がゆっくり味わえて良い。
それにしても、隣は大丈夫かな。まさか真っ昼間っからあれ以上いちゃついたりはしないだろうけど。そろそろ父さんも夕飯の仕度を始める頃だし。
でもまあ、大丈夫だろう。良兄はともかく、正兄がそんなヘマをするはずもない。
あ、しまった。囲碁の本を先にもらっとけば良かった。読みたいけど居間からどちらかの部屋に移動とかするかもしれないし、それが正兄の部屋だったら鉢合わせはしたくない。

あ〜あ、と僕は大きな溜息をついた。2人とも弟にこんなに気を使わせて、感謝して欲しいよね、と思いながら。
でもケーキがこんなに美味しいから許してあげるよ、と小さく呟いて、僕はまたとろけそうなクリームを一口、パクリと食べた。



















25万打リクエスト企画その5。リクエストはあらまたさん。
リク内容は

「利守から見た正良」

でした。

「大人と子供の境界線」での3兄弟のやり取りを気に入ってくださってのリクエスト。
とっしーを書いた時凄く楽しかったので、今回も楽しく書かせて頂きました♪
利守最強伝説再び!(笑)

あの環境に育てば、いやでも大人びてしまいそうですが、優しくて可愛い子ですよね。
あと、とっしーはパパさんより正兄の方に甘えてた感じが好きです。
たまにしか会えないせいなのか、むしろ長男の方がお父さんらしいのか(笑)。

今回の話は「大人と子供〜」の前の話になるのですが、
こんな調子じゃばれてるの当たり前だよ、よっしー!(笑)
三男にはこれからも長男次男を温かく見守っていて欲しいものです。

あらまたさん、楽しいリクエストありがとうございます!
大変お待たせしまして申し訳ありません&レシピの方放置しててすみません!
少しでもお気にめしていただけると嬉しいですv


2007.12.16

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