夜来香
「デートしようか。」 10日振りに現れた正守の第一声に、良守は後ろを振り返った。それと同時に正守が結界の上から飛び降りる。 「デートだぁ?」 「そ、デート。」 目の前に降り立った正守を見上げ胡散臭げな声を出す良守。そんなつれない態度にも慣れきっている正守は、良守とは対照的にやたらとニコニコしている。こんな態度を見せればいつもなら嫌みの一つ、からかいの一つも言ってくる兄のそのネジが飛んだかのような態度に良守は一歩後退った。 「…こんな夜中に?」 良守の中でデートというのは、映画に行ったり買い物をしたり食事をしたりする事だ。現に昼間になら何度か、兄にケーキを食べに連れて行ってもらったりしている。でもこんな時間では店はどこも開いていないのに。 「こんな時間じゃないと出来ないデートも、たまには良いかなと思って。」 そう答える兄はやはりニコニコとした表情を崩さない。何だろう、この機嫌の良さは。ちょっと不気味だ。 とはいえ、兄と出かける事が嫌という訳ではない。むしろ電話やメールはしていたけど、会えたのは10日振りなのだから一緒にいられるのは大歓迎だった。 「どこに行くんだ?」 良守の暗に了承と取れる返事に、正守は「着いてからのお楽しみ」と答えると、さっと良守の体を抱え上げた。 「うおっ!?」 「しっかり掴まっとけよ。」 言葉と共に体を襲う浮遊感に、思わず良守は自分を抱える男に抱き付いた。だが一瞬遅れて自分の状況を把握した途端暴れ出す。 「ちょ、待てこら!これはやめろ!!」 「おいおい、暴れるなよ。落っこちるだろ。」 「…っ!!暴れるような事してんのは誰だ、このクソ兄貴!」 良守が怒鳴っても兄は楽しげに笑うだけだ。本当に、よりにもよってこれはないと良守は思う。…これはいわゆるその、お姫様抱っこという体勢で、間違っても男である自分がされていい抱えられ方じゃない。これならまだ春休みの時みたいに、小脇に抱えられた方がいくらかマシだ。あれだって荷物扱いされたみたいで腹が立ったけど。 だが怒鳴っても兄は何処吹く風で、空中に作った結界の上を身軽に飛んでいる。人一人抱えてるってのに何だこの体力馬鹿。 しかしこんな状態で暴れても、兄に離すつもりが無い以上無意味な事は今までの経験上分かっている。まあいっか、と良守は体から力を抜いて腕を正守の首筋へと回した。羞恥心さえ捨ててしまえば、こうして運ばれるのはとても楽だ。誰に見られるわけでもないのだし、と自分を納得させながらしがみつく。ふと見上げると、余裕の表情で真っ直ぐ前を見る兄の顔が近くにあって少しだけ見惚れた。いつも見ている正守の顔はもっと上にあるし、この角度って新鮮だな〜なんて考えていると、視線に気付いたのか正守がふと良守を見た。 「何?」 「べっ、別に!」 慌ててそっぽを向く良守だったが、その動揺具合から照れているのは丸分かりだった。だが正守は敢えてそれには触れず、「もう少しだから辛抱しろよ」と声を掛けると良守を抱く腕に力を込めた。 10分程移動して辿り着いたのは、少し高台にある自然公園だった。市が管理している公園で、入り口には門があり夜間の人の出入りはできないようになっている。とはいえ警備員がいるわけでも監視カメラがあるわけでもないので、門を乗り越えようと思えば簡単に出来るだろう。そして今ここを目指してきた二人には門を乗り越える必要すらなかった。 正守は門から多少離れた散歩道に降り立つと、良守を腕から降ろした。 「こっからは歩こう。」 キョロキョロと辺りを見回す良守の手を引いて、誰もいない道を歩く。物珍しいのか不思議そうな表情の良守は、普段なら照れて振りほどきそうな兄の手をそのまましっかりと掴んでいた。その様子が幼い頃を思い出させて正守は小さく微笑む。 暫く歩き小さな脇道に入ると、良守が何かに気付いたように顔を上げた。頻りにくんくんと匂いを嗅いでいる。 「気付いた?」 「うん。何これ、すっげー良い匂いだけど。ってか花の匂い…?」 「当たり。ほら、もうすぐだ。」 ザッと道が開ける。2人の前に広がったのは梅林だった。月光を受け、白く輝くように咲き誇る白梅が、夜の風にのって辺りに芳香を振りまいている。その幻想的な風景に暫し言葉も無く佇む。 「この匂いだったんだ…。」 「ああ、綺麗だろう?」 正守の言葉に、良守は素直に頷いた。煌々と輝くように、夜の闇に浮かび上がるように咲く白梅は、言葉に出来ないくらいに美しい。あまり出歩く事がないせいか、割と烏森からも近いこんな所にこんな場所があった事など知らなかった。見渡すと中央部分の梅は見事に満開なのに、右奥にまだ固い蕾の木が見える。 「あっちの奥のはまだ咲いてないんだな。」 曲がった独特の木の形からして梅ではあるらしいその木を見ながら、不思議そうに呟く良守に正守が答える。 「あっちのは紅梅だよ。梅には早咲きや遅咲きの品種があるんだ。」 「白いのは早く咲いて、赤いのは遅いってことか?」 「一般的にはそうだけど、12月頃咲く早咲きの紅梅もあれば、3月頃に咲く遅咲きの白梅もあるからどっちとも言えないな。」 「へぇ、梅ってそんなに種類があるのか。」 言いながら2人が梅に近づくと、その芳香がますます強くなる。良守は目を閉じて、その香りを大きく吸い込んだ。 「不思議だな。甘いのにさわやかっていうかさ。こんだけ強い匂いなのに、全然ムッとしねーの。」 素直に感嘆の声を上げる良守だったが、ふと頭の片隅に何かが触れたような気がして立ち止まった。 「良守。どうかしたか。」 顎に手を置き、一際大きな梅の木を見上げる良守に正守が声を掛ける。それに頭を傾げながら良守が答えた。 「いや、大した事じゃねーんだけど。なんかこの匂いが気になるっていうか…。」 これだけの芳香となるとそうはないだろうが、梅の香り自体はさして珍しいものではない。梅の木だけなら家の庭にも一本植えられている。その梅はこんなに良い匂いはしないけど。 あとは近所の公園にもあったっけ。でもあれは一見桃みたいな、ちょっと薄めのピンクだった。こんな良い香りでこんな大きくて、こんなにたくさんの白い梅の花なんて見たことない…はずなのだが。 訝しげな顔をする良守に、正守はあっさりと答えを出した。 「意外だな。匂いだけでも覚えてるもんなんだ。」 お前小さかったのに、と感心したように呟く正守に良守は驚いた。 「どーいう事だよ兄貴。」 「どういう事って、昔家族揃ってここに来た事あるんだよ。その時は昼間だったけど。」 「そうなの!?」 正守のあまりに意外な言葉に良守は目を見開いた。その特殊な家柄故に、記憶にある中で家族で出掛けた事など皆無に等しい。 「町内会の交流会か何かだったと思うけど、バスに乗って来たんだよね。お前はまだ1歳くらいだったはずだよ。」 アルバムに写真あると思うけど、と言われて良守は口を曲げた。思い出して楽しい過去もないので、あまりアルバムは見ていないのだ。幼い頃兄を慕っていた様子もアルバムからは窺い知れるうえに、その後一人欠けたまま当たり前に年月が過ぎていくアルバムを見るのは嫌だった。何故嫌だったのかは、兄との関係が変わってから気付いたのだけど。 バツの悪そうな顔をする良守に、正守は苦笑しながらその頭を撫でた。今度見てみろよ、と言われて良守が頷く。そんな良守の手を引っぱって梅の木の根元に座り込むと、正守は背に括り付けていた風呂敷を取り広げた。 「はい、良守。」 目の前に差し出された物を思わず受け取ってから、良守は少々呆れ顔で兄を見る。 「こんなの用意してたのかよ…。」 「ん?良守が喜ぶかなと思ったんだけど。」 食べるだろ?と渡されたのは缶のお茶で、その前に受け取ったのはヨモギ餅にアンコのかかった串団子だった。 花より団子とは言うけど、自分は確かにそのタイプではあるのだけど。何だか子供扱いされてるような気がして釈然としない。そう言えばこんな物を背負ってたから今日はあんな抱えられ方をされたのだろうか。 考えながら食べた団子は美味かった。これは前に兄が土産に持ってきた団子屋だ。 「美味い。」 「そう、良かった。」 素直な感想を口にすると、正守が嬉しそうに笑った。そういう顔を見ていると、ちょっとくらいの子供扱いもどうでも良くなってしまうから不思議だ。俺も大概こいつに弱いよな、と内心溜息をついているとクシュッと小さなくしゃみが出た。仕事柄寒さには慣れているとはいえ、まだ真冬と言ってもいい時期の夜中の寒さはやはり堪える。 「ああごめん。寒かったな。」 結、と言う兄の言葉と共に周囲に結界が張られた。外気が遮断されると途端に寒さが和らぐ。良守がホッと息をつくと、正守が羽織を脱いで良守の肩にかけた。 「おい、これはいいよ。もう寒くねーし。」 慌てて羽織を返そうとすると、正守の手がそれを留めた。 「こんな所で風邪ひいてもいられないだろ。良いから着とけ。体冷えてるはずだから。」 「それはお前もだろうが!俺は大丈夫だって!」 「お兄ちゃんは鍛えてるし、これくらい平気だからさ。」 鍛えてるのは俺もだ、と言い返しても正守は絶対に受け取ろうとしなかった。風邪をひいて欲しくないと思うのは、良守だって同じなのに。どうしてくれよう、と考えていた良守だったが、徐に立ち上がると強引に正守に羽織を被せた。そしてそのまま正守に背を向けてその足の間に座り込む。 「…良守?」 「これならお互い寒くねーだろ。」 お前無駄にデカいし、毛布代わりになれ。良守はそう言うと、正守の胸に背中を凭れた。反射的に腕をまわす。 腕の中にスッポリと収まるまだ小さくて細い体は夜風に冷え切っていて、でも何故か温かく感じる。首をくすぐる冷たい髪にそっと顔を寄せて埋めてみると、弟の匂いを強く感じてホッとした。そしてホッとした自分に正守は驚いた。 辺りを埋め尽くす梅の芳香は確かに芳しく素晴らしいけど、今この腕の中にいる弟の、嗅ぎ慣れた匂いの方がもっと好きだと思う。それが僅かな時間でも感じられなかった事に、違和感を覚えていたらしい自分の莫迦らしさに笑いそうになる。 本当にどうしようもないな。 正守は一瞬だけ自嘲するような笑みを浮かべ、だがすぐ後にはそんな自分を振りきるように腕の中の弟を抱き締めた。 「…どうしてくれるんだ良守。今日はせっかくお兄ちゃんが、可愛い弟と花見をしようと健全な気持ちで来たって言うのに。」 ぎゅうぎゅうと抱き締めながらからかうように言うと、途端に良守が暴れ出した。 「何いきなり変な事言いだしてるんだよ!このまま花見してれば良いじゃねーか!」 「お前ねー。こんな可愛い言動されたら、誰だって色々吹っ飛んじゃうよ?お兄ちゃんの忍耐力だって限りがあるの。」 「兄貴にそっち方面の忍耐力なんてあるのかよ。そもそも健全なんて言葉、兄貴には一番似合わねー!」 このエロ坊主っ!と叫ぶ弟に、正守がにっこりと笑った。 「そうかそうか。俺には似合わないか。だったら我慢する必要なんてないよな。」 え、と口の端を引き攣らせて振り返った良守の顎を強引に掴むと、正守はそのまま自分の唇を重ね、いつもよりも冷えて少しかさついた弟の唇を味わった。 引き寄せた体から僅かに漂う梅の花の香り。まるで上等な香のように弟の法衣に染みついたそれに、正守は挑戦的な笑みを浮かべる。 ーすぐに俺の匂いに変えてやるよ。 結界の上に白く柔らかな梅の花弁が一枚ヒラヒラと舞い落ち、それもすぐに風に吹かれて飛んでいく。煌々と輝く月の光の元交わされる2人の情交を、梅の木々達だけが静かに見守っていた。 |
25万打リクエスト企画その4
リクエストは正木さん
「花見(桜or梅)。烏森以外の場所で夜デート」
でした。
桜は原作で狂い咲きの桜が出てきたので(別にデートじゃないけど)
こちらでは梅を扱ってみました。
桜も梅も大好きな花なので、書くのが楽しかったです。
脳内では我が街の梅の名所と、太宰府の梅を混ぜたイメージです。
あー、太宰府行きたいー。
正木さん、大変お待たせして申し訳ありません!
あとHまでは辿り着けませんでしたが、ご了承くださいね。
リクエストありがとうございましたv
2007.12.6
Novel