その存在が特効薬







病気というものは、気を付けていれば絶対に罹らないというものではない。
それは日頃いくら鍛えていようとも、衛生面にどれ程気を配っていうようともだ。
烏森の地を守る結界師の正統継承者として生まれ、毎夜の務めがある墨村良守にとっても例外ではなかった。
彼は幼い頃から予防接種は全て、義務のものから任意のものまで受けていたし、日常生活においての手洗いうがいも欠かさない。
それでもどうしたって病気になる時にはなるものなのだ。





その日は昼過ぎ頃から少し何かが違っていた。屋上でたっぷりと昼寝したはずなのに体が妙に重い。寝過ぎたか、と思っていたけど学校が終わり帰宅しても怠さはとれなかった。
楽しみにしてるおやつは喉を通っていかないし、その後もう一度寝ようとしても今後は胸苦しい感じがして寝付けなかった。ここまでくると流石に体調不良を疑うしかない。そう言えば学校にもこの所マスク着用してる姿をチラホラ見かける。
気を付けてたけど風邪もらっちゃったのかな、と小さく溜息をついた。だが務めは毎晩ある。休むわけにはいかない。
眠れないままに布団の上でボーっとしていると、夕飯だよと襖越しに父が呼びに来た。
のそりと起きあがり、重い体を叱咤して布団から出た所で一瞬脳内が回転する。う、ヤバい予感が。これはその内熱も出てきそうな感じだ。だがここで下手に熱を測ってしまうと気力が挫けそうだから、敢えて予感は無視する事にして居間へと向かった。

食事の間にも良く気が付く父に、顔色が悪いよと言われて少し慌てたけど、寝不足なんだと誤魔化した。納得出来てないのか心配げな顔をする父に笑って大丈夫だと告げると、さっさと食事を掻き込んで部屋へと戻る。
本当は食べたくなかったし、いつもは美味しく感じるご飯の匂いもムッとしたのだけど、吐かずに食べる事が出来てホッとした。
とにかく寝て体力を取り戻す事が先決だ。良守は少し冷えてしまった布団に飛び込み、目を瞑った。



結局夕方よりは眠れたものの、具合は良くならないままに時間はどんどん過ぎていく。
今夜の務めさえ終われば、帰宅してから救急箱を漁って薬を飲もう。幸い明日は土曜日で、遅くまで寝ていても文句は言われない。
一晩寝ても回復しなかったら病院に行って注射のひとつもしてもらえばすぐに治るだろう。とにかく今晩さえ乗り切れば何とかなる。
そんな風に考えて烏森へ向かおうとする良守に、墨村に仕える妖犬斑尾が声をかけた。

「ちょいと良守。あんた、いつもと臭いが違うよ。」
「…何だよそれ。臭いとでも言いたいのか。」

風呂なら帰ってから入るよ、と態と話題を逸らす。斑尾の言いたい事は分かっているけど、気付かない振りをした。
その言葉の声質で察したのだろう。斑尾は大袈裟に溜息をついてみせた。

「意地っ張りな餓鬼だねぇ。繁守に言えば良いだけの事じゃないのさ。」
「うるせー。爺の説教なんて聞きたくないんだよ。こんなのたいした事ねーし。」

それよかさっさと行くぞ!と拳を振り上げながら走り出す良守の後を、斑尾は呆れたように付いていった。



「ねえ良守。あんたもしかして具合悪いんじゃないの?」

学園の校門前で顔を合わせて以来、何度も訝しげに良守の顔を見ていた時音が尋ねた。
慣れているとはいえ暗闇の中では顔色までは分かりにくかったのだが、良守の額にはうっすら汗が滲んでいる。そろそろ雪も降ろうかという時期に、まだ妖を追い掛けて走り回った訳でもないのに汗を掻くなんておかしい。
眉を顰めながら顔を覗き込んでくる時音を避けながら「なんでもない!」と言い放ち、良守は結界を使って一旦上空へと逃れる。

「良守!」

背中に時音の声が届いたが敢えて返事はしなかった。というよりできない。「なんでもない」という言葉が嘘だなんて、二人とも分かっているからだ。
後少しで今夜の務めも終わる。もう少しの辛抱だ。そう思いながら地上へと戻った途端、脳内にピシリと電流のような物が流れた。

「来たよ良守!」
「よし、行くぞ斑尾!」

スピードを上げて飛ぶ斑尾の後を追う。いつもよりも足が重いし縺れるような気がして走りにくい。
だが何とかその場所に辿り着くと、そこにいたのはゆうに3m程はありそうな大きな妖。見た目がちょっと恐竜に似ている。
のしのしと歩く姿からはそう大した妖力は感じないが大きさには問題ありだ。パワー先行型の良守にとって、いつもなら何でもないサイズだが今日は違っていた。ここまで何とか順調だったのに、と舌打ちする。こうなったらさっさと滅してしまうしかない。

「方囲、定礎、…結!」

大きいせいか動きは鈍く、難なく囲む事は出来た。だがこれだけの大きな結界をはる事は今は正直言って辛い。
辛うじて結までもっていけた事に大きく息を吐いて肩から力を抜く。滅するのには今以上の力が必要だ。ー集中しなくては。そう思った途端にぐらりと足下が傾いだ気がした。

「あ…?」

急に体から力が抜けていく様な錯覚。両足が変に重い。何だこれは、と考えるよりも先にその体が地面に頽れた。と同時に目の前の結界が不安定になり、中の妖が暴れ出したのが霞んでいく視界の隅に映る。白いものがちらちらと飛び回るのも見えた。
おい斑尾。そこにいちゃ危ないだろ。そう言おうとしたのに、口は微かに動いただけで音すら発しない。
やばいな、このままだと気を失いそうだ。閉じかける意識を叱咤していた良守の耳に何かが届く。

「良守っ!!」

常にないような必死さと焦りを滲ませた声。近づいてくる馴染んだ気配。

(あ、にき…?)

誰だ、なんて考えなくても分かるその気配に、いよいよ体中から力が抜けて。
そこで良守の意識は途切れた。








目が覚めると、そこは見慣れた自分の部屋だった。ぼんやりしながら身を起こすと、いつも寝間着代わりにしているスェットを着ている。

あれ、俺どうしたんだっけ…?

確か烏森にいたはずなんだけど、とぐらつく頭を押さえながら考えていると、静かに襖が開いた。

「目が覚めたのか。」
「兄貴…。」

声を掛けられてようやく思い出す。そうだ俺、烏森で倒れて。そこに兄貴が来て。状況を思い出して半身を起こす。

「兄貴が家まで運んでくれたのか?っていうかあの妖は!?」

自分は囲むまでしかしてなかった事を思い出して思わず叫ぶと、正守が手にしていた洗面器を床に置いて布団の傍らに座り込んだ。

「あの後すぐに滅したよ。時間的にも終わりの頃だったし、後は時音ちゃんに任せてきたから。」

一応式神置いてきたから大丈夫だろ、と正守が言うのにホッと息を吐く。兄がそう言うのなら心配はないだろう。
すると正守が「寝てろ」と良守の額を押した。まだ力の入らない体は簡単にまた布団へと逆戻りする。
正守は洗面器に張った水で濡れたタオルを固く絞ると、良守の顔を優しく拭い出した。
今まで気付かなかったが、額と首筋ー頸動脈の辺りには熱を吸収するジェルシートが貼ってあった。これも兄がやってくれたのだろう。
冷たいタオルの感触に、自分が汗をかいていた事を知る。拭われた箇所からヒヤリと空気が当たって心地よい。
兄は丁寧に顔や胸元を拭くと、今度は良守を横向きにさせてスェットを捲ると背中も拭い始めた。

「少しはスッキリしたか?」

タオルを洗面器に放って顔を覗き込んで尋ねる正守に、黙って頷いてみせる。すると正守は懐から丸薬を取り出した。枕元の水差しから水を酌み、薬と一緒に弟に渡す。良守は黙って受け取ると口に放り込んだ。独特の臭いがするそれを、水で一気に流し込む。そしてすぐ横にいる兄の袖口を掴んだ。

「兄貴、あの、…ごめんな。」

見上げながら言うと、正守が一瞬驚いたような顔をして、それからくすりと笑う。

「なんだ。今日は変に素直なんだな。」

皮肉っぽい台詞。だけど楽しそうに笑う正守からは嫌みな感じがまったくしない。きっとただ本当に意外に思っているだけなんだろう。

「別に俺だって、謝らなくちゃいけない時には謝るよ。迷惑かけたのは分かってるし。」

何故正守が烏森にいたのかは別に不思議じゃなかった。最近はわりと時間が出来るたびに会いに来てくれるから。あの時兄が来てくれなかったらどうなっていたか。

「へぇ。反省してるんだ。」

ニヤリと笑う正守に、感謝しながらもさすがにちょっとムッとして、良守は不機嫌そうに口を尖らせた。

「悪かったとは思ってる。でもな、お前があそこで俺を呼んだのもいけないんだぞ。じゃなきゃ、もう少しは意識保ってられたのに。」

兄に名前を呼ばれて一気に力が抜けていった事は、意識を失う直前だったにも関わらず鮮明に覚えている。名を呼ばれなくても数秒の違いで気絶しただろうから、滅する事までは出来なかったと思うけど。
憮然とする弟の顔を正守はマジマジと見て、それから「ふ〜ん」と呟いたかと思うと嬉しそうに笑った。
機嫌の良くなった兄の様子に、良守は怪訝そうな顔をする。そんな弟に正守はそっと顔を近づけた。「って事は」と前置きして良守の耳元で囁く。

「お前さ、俺の声聞いて、安心して気を失っちゃったの?」
「な…っ!」

零れんばかりに大きく目を見開いて否定しようとした良守だったが、先程自分が言った台詞を思い返して愕然とすると布団に潜り込んだ。
そうだあの時。ギリギリの所で保たれていた気力が兄の出現で瞬時に消えてしまった。多分正守の声を聞いた事で、張りつめていたものが解けてしまったらしい。声を聞いて安心して気絶だなんて何だそれ。俺って超恥ずかしすぎる!
認めたくないくらいに恥ずかしいのに、よりによって自分から本人に話してしまうなんて。もう泣きたい。
こういうのって何て言うんだっけ。泣きっ面に蜂?なんとかにションベン、ってのもあったような。
どうでも良いようなことを考えて現実逃避しようとしても、恥ずかしさは一向に消えてくれない。叫んで転び回りたい気分だ。

「こら、布団に潜ってたら逆上せて熱が上がるだろう。顔見せろって。」

グイッと引っ張られて良守は必死に抵抗したが敵うはずもなく、布団を剥ぎ取られてしまう。
顔を見られるのが恥ずかしくて腕で隠しているとその手をそっと取られ、見上げると優しく見つめてくる兄の眼差しと視線が合った。
また汗をかいて頬に張り付いた髪を払ってくれる仕草と、触れる指先にもどかしさを感じてしまって、少しだけ自分から頬を擦り寄せた。自分に熱があるせいかいつもよりも冷たく感じる掌に愛しさが募る。
甘える仕草を見せる弟に正守も微笑み、良守の隣に横たわるとそっとその体を抱き寄せた。

「…風邪、移るぞ。」

胸元に擦り寄ってくるくせにそんな事を言う弟が可笑しくて、正守は笑いながら頭を撫でてやる。

「俺は大丈夫だよ。それとも離れて欲しい?」

正守の言葉に、良守は兄の着物の襟をキュッと掴んで頭を振った。普段よりも甘えたい気分なのはきっと風邪のせいだ。体調悪いと心細くなるって言うし。そんな風に自分に言い訳して目を伏せる。着物から微かに漂う香と正守の体臭が混じった匂いに安堵した。

斑尾は臭いがないって言うけど、正守からは良い匂いがする。近づく度、抱き締めてくれる度に香るそれに、いつだって頭の芯が痺れそうになるから分かる。どうして分からないのかな、こんなに良い匂いなのに。不思議だけど、でも他のヤツには分からなくていいやって思う。
俺だけが知ってるならそれもいい。

「説教は具合が良くなってからって思ってたけど、可愛い事言ってくれたから勘弁してやるよ。」

その代わりまたこんな無茶したら許さないから覚悟しておくように、と笑いながら言われて良守はバツの悪そうな顔で頷いて。目を閉じたらもう限界だったらしく、あっという間に意識が心地よい暗闇へと落ちていく。
眠りにつく寸前に額に口付けされた、と思ったけど。何も返せないままに良守は意識を手放した。












22万打リク。リクエストは月亮さん
リク内容は

定番の正良風邪引きネタ読みたいです

との事でした

詰まらないリクだと恐縮されてましたが、そんな事はありませんよ月亮さん!
定番や王道というのは、いつまで経っても素晴らしいからこそ残るもの!
…それだけに他の方の作品と比べられやすいし、書き手の力量がバレバレなわけですが
まあそんな事は気にしない、気にしない!(←ちょっとは気にしろ)

相変わらずバカップル兄弟になりました。書いてて楽しかったです


月亮さん、お詫び企画と重なった為、大変お待たせしてしまい申し訳ありませんでした!
宜しければお受け取り下さいませv



2007.9.5

Novel