裏返しの感情








日差しの温かな日だった。


3日間の休暇を実家で過ごす為に、正守が烏森に帰ってきたのは昨夜遅く。
携帯に連絡を入れてあったから、父は朝から豪華な朝食を用意してくれた。
久しぶりの長兄の姿に喜んだ利守は、学校から帰ったら遊んで欲しいとねだる。
ただ一人不機嫌そうな顔を隠そうともせず、黙々と朝食を食べる良守。まあそれもいつものことで。
普通とは多少違う家業を持つ墨村家。だが中の人間は相変わらずだ。それは多分良いことなんだろう。

学校に行く弟達を見送ってしまうと、後は暇になってしまう。縁側で蔵の書物を読むことにした。
こうして堂々と読めるのは、墨村家の人間なら誰でも読んでも良い部類の書だ。
正統継承者しか読む事の出来ない書物は、蔵の奥にある。とはいえ実は何度か祖父の目を盗んで読んでいるが。
いくつか立てている仮説の為に家系図も読み直す。何故か分家筋の記録が少ないのが痛い。
継承者以外の人間は殆ど家を出ているとはいえ、これだけ長く続く特殊な家系だ。
血筋を絶やさぬ為に多少は分家とも繋がりを持つのが普通だろうに。
烏森にも墨村家にも、そして雪村家にも謎は多い。
一度で良いから雪村の書物も見れたら、と考えていたら祖父がやってきた。

「正守。少しいいかの。」

どうぞと促せば、祖父は正守の隣に座った。暫く二人して庭を眺める。

「どうだ、夜行の方は。」

「夜行ですか?まあまあですよ。みんなが頑張ってくれるんで、最近は俺も休みやすくなりましたしね。」

庭を見たまま尋ねてくる繁守に、正守も視線は向けずに答えた。
多分祖父の聞きたい事はそんな事じゃないんだろう。何となく分かるから、こちらからは促さない。
手元の巻物をクルクルと片付けた。古い物ばかりだから扱いは自然丁寧になる。それを横目でちらりと見てまた視線を庭に戻し、繁守が口を開いた。

「のう、正守。」

「はい。」

「何故、裏会の幹部になる事を承諾したんじゃ?」

祖父の言葉に正守は少々驚いた。知られているのは知っていたが、今頃になって何故そんな事を。

「唐突ですね。」

「わしにとっては唐突でもないがの。お前のする事じゃ。心配はしとらんが、気にはなる。」

「じゃあ答える前に、俺からも質問して良いですか。」

「なんじゃ?」

「俺の幹部入り、随分早く知ってましたよね。どこで聞きました?」

正守は繁守を見て言った。繁守は一瞬意外そうな顔をする。

「ありゃ松戸からの情報じゃ。あやつの地獄耳にはいつも驚かされとった。」

「松戸さんでしたか。それなら納得だ。」

裏会と疎遠になっていた繁守が早い段階で知っていた事が少し不思議だったが、あの人経由なら合点がいく。色々と変わった人だったなと正守は松戸を思い出した。
偽装死を承諾したのは正守だったから、祖父は彼があの時死んでいなかった事は知らない。
そして正守もあの後彼がどうしたのかは知らない。が、多分今もどこかで生きているだろうと思っている。簡単に死ぬような人じゃない。
繁守も彼の人を思い出したのかやや俯いていたが、すぐにまた正守に向き直った。

「正守。お前が裏会に行って、決して短くはない月日が流れておる。その間、あそこの表も裏も見てきたじゃろう。夜行を作っただけでは駄目だったのか?」

その言葉が、心配してくれているからこそのものだという事は解る。少しは話しておくべきかと正守は考えた。

「夜行を作ったからこそ幹部入りもしたんです。夜行は作ったばかりで後ろ盾もない。頭領が幹部になれば手っ取り早いですからね。」

「まあ、確かにそうかもしれんが。」

言っている事は理解できても納得しかねる、という祖父の様子に正守は苦笑する。

「裏会は必要な組織なんですよ。あそこでしか生きられない人間だっているんです。」

「ー正守。」

「ああ、皮肉じゃないんで、その辺は誤解しないで下さい。でもだからこそ裏会そのものを、このまま放ってはおけないんです。俺には夜行の頭領として、預かったやつらに対しての責任がありますから。あそこがこのまま腐っていくのを黙って見ている訳にはいかない。」

正守は自分を心配げに見る繁守に笑いかけた。

「澱んでしまったなら、新しい風を入れれば良い。そうすれば滞った流れも動き出す。ー単純な事ですよ。」

事も無げに言ったその言葉がどれほど大変で重い意味を持つのか。それを考えると繁守は複雑な気持ちになった。正守は全てを背負う覚悟で、その新しい風になるつもりなのだろう。

「しかし、それは危険な事じゃぞ。」

「元より承知です。大体、幹部になったからと言って今すぐ何か出来る訳でもない。でも将来動く為の布石にはなるでしょう。何かと情報も手に入れやすいですしね。」

割と便利なんですよと、少し戯けたように言ってみせて。だがすぐ正守は表情を変えた。

「それにね、おじいさん。烏森を狙うのは、何も妖ばかりじゃない。すでに烏森は利権争いの道具になりつつあります。だけど墨村出の俺なら、あそこを任される。」

鋭い眼差しを庭先に向け、正守は告げる。

「俺がいる限り、他の奴らに烏森は手出しさせません。」

きっぱりと言い切る正守に、繁守が一瞬目を見開く。それから小さく息を吐いた。

「…すまんの、正守。お前には苦労をかける。」

「謝らないで下さいよ。俺はそれを苦労とは思ってないんですから。」

さあ、この件はこれで終わりにしましょうと、正守は巻物を抱え立ち上がる。蔵へと歩く正守の後ろ姿を、繁守は言葉もなく見つめていた。










「まーったく、良い子ぶるのは昔から上手だわよね、あんたって。」

夜の烏森学園。その上空で結界に座り、弟達の様子を見ていた正守の元にふわふわと近づいてきた妖犬の姿。自分を嫌っている斑尾が近づいてくる事を不思議に思っていたが、その言葉で何となく感づいた。斑尾が言っているのは、昼間の繁守との会話だろう。

「聞いてたのか?」

「聞いてたじゃなくて聞こえたの。人の本体が寝てると思って、すぐ近くであんな話してるんじゃないわよ。」

おかげで目が覚めちゃったじゃないのさ、という斑尾に正守は笑った。

「それは悪かった。でも良い子ぶるってのは人聞きが悪いな。」

「何言ってんだか。私ゃ聞いてて寒いぼが立つ思いだったわよ。あれじゃまるであんたが、いかにも烏森を大事に思ってるみたいじゃないの。」

繁守が喜びそうな事言っちゃってさ、と斑尾が小馬鹿にしたような口調で言う。

「あれ、おかしいな。俺はちゃんと烏森を大事だと思ってるよ?」

「はんっ!あんた、そんな心にも無いこと言ってて、口は曲がらないのかい?」

斑尾が正守をやや上空から睨め付けた。そのキツい視線を正守は真っ向から受け止める。

「隠したって無駄だよ。あんた、本当は烏森なんてどうだって良いはずだ。抑もあんた、繁守の事嫌いだろう?」

「おいおい、酷い事言うなよ斑尾。相手は俺の実の祖父だぜ?」

「何が酷いもんさね。嫌ってるくせに表面上それを出さないでいるあんたの方が、よっぽど酷いじゃないか。」

斑尾の言葉に、正守はやれやれと息をついた。どうやら誤魔化しは効かないらしい。
これが人ならば悟らせない自信はあったのだが、妖相手、ましてや斑尾相手に無理な話だったのだろうか。正守は降参した。

「まあ確かに俺はおじいさんが嫌いだよ。だけど師として祖父として、敬愛してるのも本当。」

嫌いな部分はある。だけどあの人は血を分けた肉親であり家族だった。そしてあの人なりに正守を大切に思ってくれている事を知っている。
ー簡単に「嫌い」の言葉で済ませられるようなものではないのだ。

「自分の傲慢さに気付いてない、それこそが継承者としての傲りなんだって、きっとあの人には永遠に解らない。だけどそれは烏森から出たことがないからだ。ならば気付けない事は罪じゃないだろう。罪があるとしたら、それは烏森にある。」

だから俺は、おじいさんが嫌いだけど大事だよと言う正守に、ふん、と斑尾が鼻息を漏らす。

「面倒くさいねぇ、人ってヤツは。」

「人は複雑でこそ人なんだよ。愛も憎しみも、同じ相手に同時に抱ける。それで矛盾はしてないのさ。」

うんざりしたような斑尾の言葉に、正守が答える。

「正直、妖の単純明快さにも惹かれるけどね。好きなら好き、嫌いなら嫌い。犯したければ犯し、殺したければ殺す。裏表がない分、妖の方が純粋なのかもしれないな。だけど俺はそうはなれないからさ。
我ながら複雑すぎて忌々しく思ったって、この心を捨てたら俺は俺でなくなる。それじゃ例え楽になれても意味がないんだ。」

そもそも捨てるつもりもないしね、と笑いながら言う正守に、斑尾は呆れた目を向ける。

「面倒くさいのは、人じゃなくてあんただわ。まったく難儀な性格だよ。」

「ハハ、違いない。」

楽しげに笑う正守をじっと見ると、斑尾が口を開いた。

「捨てるつもりがないのは、良守への想いかい。」

先程までの嘲笑が混じった顔を一変させた表情で自分を見ている斑尾を、正守は笑いをおさめ無言で見返す。

「あんたが大切なのは烏森じゃなくて、烏森を守護してる良守だろう。」

愛も憎しみも、同じ相手に同時に抱ける。その最たる相手は良守じゃないのか。そう問う斑尾に、正守は苦笑するしかない。

「流石に斑尾は良く見てるよね。人よりも人の感情に詳しいし。」

「伊達に400年も人の傍にいたわけじゃないからね。」

口の端を上げて、ニヤリと笑う斑尾に正守もまた笑って返す。

「確かに俺はあいつが憎いよ。何も知らず、何も気付かず、ここまで俺を縛り付けるあいつが憎くて、ーでもそれ以上に愛してる。」

そう言う視線は暗闇に包まれた烏森を見ていた。憎々しげに語る言葉、意地悪げに笑む口元とは裏腹に、眼差しは優しい。

「…随分あっさりと認めたわね。」

「お前相手に今更誤魔化さないさ。そんなことしても無駄だって、さっき思い知ったしね。」

飄々とした態度を崩さない正守を斑尾は見ている。その視線を感じながら組んだ足に肘を乗せ、頬杖をつく正守。

「俺はさ、烏森に良守をくれてやるつもりは毛頭ないんだ。」

ヒュウと一陣の風が吹いた。正守の着る漆黒の羽織がふわりと裾を広げる。その途端、正守の表情が鋭いものに変わった。

「あんな方印ごときで、良守の一生を縛られて堪るか。」

吐き捨てるように語る正守の眼差しは、先程と違って荒く睥睨的だった。その横顔を見ながら、斑尾は茶化すように言う。

「おお怖っ。嫉妬深い男って嫌だねぇ。良守もとんだ男に好かれたもんだわ。」

「想うくらいは許して欲しいね。どうせ良守は一生知らないんだし。」

「へぇ、告げるつもりはないって事かい?なのにあれを守る為にあれこれ尽くして?随分と健気じゃないの。」

「手に入れたい訳じゃないが、だからといって訳の分からないものにあいつを渡すつもりもないだけだ。」

相手が神だろうと悪魔だろうと喧嘩売ってやるさと、正守は眼下の烏森をせせら笑うかのように見下ろしている。

そんな正守を見ながら、斑尾は大袈裟に溜息をついてみせた。そしてふいっと身を翻す。

「…あんた、一見人間らしくないくらい冷静で冷淡に見えるけど。本質的にはどこまでも人間くさい人間なのかもしれないねぇ。」

「斑尾?」

ちらりと正守を見返してそんな台詞を口にした斑尾は、自分を呼ぶ声を無視して烏森へと戻った。





何て複雑怪奇なんだろう、人の心というものは。

あの見た目通りに正守がああなのはまだ解る。だが見た目単純そのものの良守の心だって、面倒なものを抱えている事を斑尾は知っていた。

「あんたたちは似てないようで変な所がよく似てるよ。だからこそ惹かれ合うのかしらねぇ。」

どちらにしても厄介だこと。そう呟いて斑尾は、もう一人の複雑な心を抱えた、彼にとっての今の主人の下へと降りていった。


















お詫び企画その1 リクエストは夏鈴さんで、
「繁守達周囲の者に「烏森に良守を渡すつもりはない」と
凄味をきかせる正守」でした。
本当はちょっとリクの変更とかもお願いしたりしたのですが、
「このリクって、黒まっさんにチャレンジ出来るかも!?」と
考えていったら内容が少しずつずれてしまったような…。
夏鈴さん、リクに添えなくて申し訳ありませんでした;;
でも当サイトでは初めて黒まっさん(モドキ)を書けて
私的には非常に満足ですv


2007.7.18


NOVEL