ちょっと未来 










言葉にできない








ー愛してるって最近 言わなくなったのは 本当にあなたを愛しはじめたからー



有線から聞こえたフレーズに、良守は立ち止まった。聞き覚えのあるような無いようなその曲が妙に気にかかる。


「なあ、この曲知ってる?」


隣を歩く友人に尋ねてみると、耳を傾けた田端が「ああ」と頷いた。


「昔流行った曲じゃね?確か…ゴスペラーズとかっていうグループの。」

「俺も聞き覚えはあるけど曲名が思い出せないな。何だ墨村、ああいうの好きなのか?」

「うーん、好きとかじゃないんだけどさ。」


とても綺麗な曲だと思うから、好きか嫌いかと聞かれたら好きだけど、良守が気になったのは歌詞だった。
そのフレーズと共に脳裏に浮かんだ面影と、気になった理由。
それを友人二人に言うわけにもいかなくて、良守は曖昧に笑って誤魔化した。









「なあ。」

「ん?」


熱を分け合った後の気怠さの中、ようやく息が落ち着いてきた良守は自分に覆い被さる男に声をかけた。ほんの僅かな距離から良守を見詰める目は、夜の闇よりももっと深い色をしていて、思わず引き込まれそうになる。
いつもは澄ました顔をした兄が、自分を見る時熱の籠もった目で見る事を良守は知っていた。
どんな時よりも、こうして二人でいる時の正守が一番好きだと良守は思う。
自然と、今はもう隠すこともしなくなったその右手を、正守の頬に伸ばす。
すると正守が目を細めてその手に自分の左手を添えた。穏やかな深い笑みに、心の底から安堵するくせに奥が疼いて熱くなる。


「お前ってさ、あんまり「愛してる」って言わないよな。」


昼間に聴いた曲の1フレーズ。純粋に疑問に思った事を聞いてみた。
初めてお互いの気持ちをぶつけ合った夜、「お前を愛してる。」と正守は言った。
だけどその後正守は「好き」だの「可愛い」だのという言葉は頻繁に言うが、「愛してる」とは滅多に口にしない。自分も殆ど言ってないからお互い様だが、恥ずかしい台詞を言う事に躊躇いのない正守にしては意外な気がする。
不思議そうに見上げる良守に、正守が小さく笑った。


「なに、言って欲しいの?」


正守の言葉に数秒考えて、良守は首を振る。
以前の良守なら、例えば正守と想いを交わしたばかりの頃に、この疑問を持ったなら。言って欲しいと思ったかもしれない。何故言ってくれないのかと不安になったり、悩んだりしたかもしれない。
だけど今の良守には、それがそれほど必要な言葉とは思えなかった。


「別にどっちでもいい。」


素っ気ないほどの弟の返事。でもその表情から、拗ねたりしているわけでもない事が分かる。きっと自分と同じ気持ちなのだろう。
掴んだ右手を頬に擦りつけて、正守は笑った。


「たいした理由は無いんだけどさ。ただ何となくなんだ。」


「好き」という言葉は当たり前に口に出来た。良守が楽しそうに笑う姿、突っかかってきながら怒る姿も、くるくると変わる表情全て。なんの衒いもなく純粋に好きだと思える。
「好き」と「愛しい」はとても近い。心の中が温かくなるような感覚と共に自然と湧き上がる想い。大切に慈しみたいと想う気持ち。だけど「愛してる」は何かが違うように感じるのだ。


「不思議だよな。「好き」よりも「愛してる」の方が深い言葉のはずなのに、足りてない気がするんだよ。」


確かに間違ってはないのに、俺の中のお前を表現しきれてない気がして、違和感があるんだよね、と正守は呟くように言いながら、良守の汗で濡れ額に張り付いた髪をかきあげる。


「多分さ、言葉に出来るようなものじゃないんだろうな、こういうのって。」


少しだけ照れたように笑う正守に、良守は兄に伸ばした手を首筋にあて自分の方へと引き寄せた。
ゆっくりと密着していく肌から正守の温もりが伝わってくる。いつもは自分とは違って少し低めの体温も、こうした時だけは同じになる。上気した体からは汗のにおい。自分のものならウンザリしそうなそれだって、正守の、だと思うと嫌だと感じないどころか安心する。
この気持ちはどこからくるんだろう。自分の中のどこにあるんだろう。ーいつから存在していたのだろう。
曖昧なようで確かな気持ち。誰かを想う、心の中に描く、ただそれだけで泣きたいくらいに幸せだなんて。そんな幸福、他に知らない。
この気持ちだって、言葉で全て表現するのは難しい。

今となってはもう遠い日のような気がする、擦れ違いばかりだったあの頃。二人はお互いの気持ちを知らず、相手に嫌われていると思いこんで苦しんでいた。
誤解が誤解を呼び、思いは空回りしてばかりで。それすらも仕方ないと諦めかけていた。
せめてそれ以上嫌われたくないなんてそんな事ばかり考えて。でもその為にどうすれば良いのかも分からず悩んで。そんな悪循環を繰り返してようやく通じ合えた想いは、月日を追う事に深まっていくような気がする。
交わす視線、触れる指先から自然と伝わる気持ちがある事を、今はもう知っているから。
「愛している」だけじゃ足りないのなら、言葉にする必要なんてない。


「何も言わなくていいよ。」

「良守。」

「俺も無理に言葉にしようなんて思わないから。ただ離さないでいてくれたら、それでいい。」


良守の言葉に、正守が一瞬驚いたような顔をして、それから嬉しそうに笑う。
近づいてくる気配。瞼に降り注ぐ優しいキスが心地いい。


「離さないよ、ずっと。最後の時まで。」

「ーうん。」


どんな時も何があっても、お互いの気持ちだけは信じてる。
そう思える事がどんなに幸せな事か、それがどれだけ得難い奇跡か俺達は知っている。
だからこそ掴んだ手はもう離さない。それだけを誓い合って目を閉じると、抱き締めた腕に力をこめた。













2007.7.12

Novel