浮気防止大作戦!
待ち合わせまであと5分。走りながら腕時計をチラリと見た良守は、手にしていたバッグを抱え直した。 本来もう少し早く学校を出られるはずだったのだが、帰り際に課題の事で講師に呼び止められて遅くなってしまったのだ。今日は金曜で明日は休みだから、たまには外で食事でもしようと正守と待ち合わせしているというのに。 人混みの中をすり抜けて急いで走る。頑張ったおかげで何とか時間前に待ち合わせ場所である本屋が見えてきた。 その入り口に見慣れた長身を見つけた良守は、声をかける前に乱れた息を整えようと足を止めー、そこで兄が一人ではない事に気づき固まる。 兄の前には女がいた。それも二人。長めの髪を綺麗に結い上げた女性とスポーティなショートカットの女性。ほとんど後ろ姿しか見えないけど、スラリとしてスタイルも良さそうだ。 女性二人は熱心に正守に声をかけている。それに対して正守は首を振って何か答えた。それに食い下がるようにまだ女性達が何かを言っているのが良守からも見て分かる。 その場から動けずにいた良守だったが、ふと正守の視線がこちらを向いてドキっとする。良守に気づいた正守は笑顔になると、そのまま二人の女性を無視するように歩きだした。その後ろ姿を見送る二人はいかにも不満げな様子だ。 「良守!」 多少は背中に突き刺さるだろう視線を気にもとめず、正守はさっさと良守の所までたどり着く。そして良守の額に滲む汗に気づいてそれを指先で拭った。その仕草にまた良守が固まる。 「汗かいてる。もしかして走ってきたのか?」 そんなに急がなくても良かったのに、と笑いながら言う正守に良守は何も返せず、微妙な顔をしている。 「良守?どうかした?」 「・・・あの二人はよかったのか?」 「あの二人?」 一瞬本気で意味が分からず正守が問いかけると、良守がついっと視線を正守の後ろに流した。それでようやく合点がいく。興味も関心もまったくなかったので、すでに正守の脳内から消えていた。 「別に構わないだろ。あそこで待ち合わせしてたから動けなかっただけで、何も話す気ないし。」 それよりもどこの店に行こうか、と促す正守について歩きながらも、良守はまだ複雑そうな顔をしていた。 美味しいと評判を聞いていた居酒屋は小さな個室がたくさんあり、二人が案内されたのも4人まで入れる掘りごたつ式の個室だった。食事も文句なしに美味しく箸がすすむ。 良守が20歳の誕生日を迎えてからは時々一緒に呑むようになっていた酒も、美味しいご飯につられてついついすすんだ・・・と思っていた正守だったが、しばらくたつとそれが間違いだった事に気づく。 「大体なぁ、お前は無駄にモテすぎるんだよ!」 「無駄にって言われても・・・。」 答えようのない事を言われ、正守は小さく溜息をついた。 赤く染まった頬、潤みがちの瞳。いつもならそれだけで眼福ものなのだが今夜だけは勝手が違っていた。グラス片手に正守に喰ってかかる良守の目は若干座っている。 もしかしなくてもヤケ酒か・・・? 今までなら嗜む程度、ビールをコップ一杯も呑めば満足していた良守だったが、今夜は食事が来る前からビールに口をつけ、その後はチューハイを3杯呑んでいる。いくらアルコール度数は低いチューハイとはいえ、普段からすると考えられない酒量だ。しかも今さらに新しい酒を頼もうとメニューを物色している。 「おい、まだ呑む気か?」 「わりーかよ。」 「いや、悪いっていえば悪いだろ・・・。そのペースだと明日は二日酔い確実だぞ。」 「うるさい。こんくらい平気だ。」 俺は酔ってない、とメニューを床に叩きつけながら睨んでくる良守に、正守はもう一度溜息をついた。酔ってないという人間ほど酔っているものだ。 どうしたもんかな、とブザーを押し店員を呼び追加の生搾りチューハイを頼む良守を見ながら、正守は考える。これってヤキモチだよなぁ、と思うと嬉しくもあるし、ヤキモチでヤケ酒を呑む良守は可愛い。そりゃもう文句なしに。だが可愛いからといって、このまま放っておいたら明日の良守の体調は最悪だろう。 運ばれてきたチューハイのグレープフルーツの果汁を搾り器で搾り、グラスに注いで良守に渡してやる。受け取りながら小さくサンキュと呟いた良守に、正守は釘を刺した。 「これで最後にしとけ。まだ慣れてないんだから、本気で明日がやばいぞ。」 正守の言葉に良守はムッとしたように口を尖らせたが、自分でもペースが早いとは思っていたのだろう。バツが悪そうに視線を逸らしてしまった。 この所ずいぶん大人びてきていたのに、最近ではちょっと珍しいくらいに子供っぽい表情を見せる良守が可愛くて仕方ない。それもこれもヤキモチからだと思うと尚更だ。 酒から意識を逸らすにはやっぱりデザートかなぁ、とメニューを物色しながら、正守は良守に声をかける。 「さっきのは別として、良守が心配するほど俺ってモテないと思うけどね。」 そう言うと、良守は正守をギロリと睨みつけた。 「モテる奴がそういう事言うと嫌味だぞ。」 「事実だって。俺は背があるからパッと見人目を引くだけ。モテるってのはもっと違うんだよ。」 例えば目の前の弟のように、最初反発しあってても絆されてしまうような、力になりたいと思わせるような。内面で人を惹き付ける魅力を持った人間を「モテる」というのだと正守は思う。正直、弟の無差別に人を魅了する(時には人外まで)力は厄介だと常々思っている正守からすれば、何を言わんやという所だ。だがその辺の事を説明したって良守は理解しないだろう。何しろ本人には自分が人を惹き付けているという自覚がまったくない。 酔い冷ましにと、正守は氷水のグラスを良守の頬にくっつけた。ヒャッと冷たそうに首を竦めた良守に微笑みながら、正守はテーブルに片肘をついて、良守をのぞきこむようにして意味ありげな視線を向ける。 「どっちにしろ、例えモテたとしても意味ないだろ。俺がお前以外に靡くと思う?」 軽い口調のようでいて、その言葉には真剣さが潜んでいるのが分かる。受け取ったグラスを口にしていた良守は、思わずコクリ、と水を飲み込んだ。低い響きの声が良守の耳を揺さぶり、酒で紅潮していた頬が更に真っ赤に染まる。 俯き加減になってしまった顔を、ん?と更にのぞきこむと、良守がボソボソと呟いた。 「そーかもしんないけど、なんか面白くない・・・。」 その言葉に正守は衝撃を受けた。酔っているせいかもしれないけど、こんなかわいい事まで言ってくれるなんて。 あー、かわいい。あー、かわいい。どうしてくれようこいつ。 今いる場所が居酒屋なのが残念だと思いながら、正守はテーブル向かいの良守の横まで移動してその肩を抱き寄せた。 「俺にはお前だけだ。それくらい知ってるだろう。」 そっと髪を撫でられて良守も頷いた。こんなに大切にされていて、包み込むように愛されていて、不安になる事なんて本当はひとつもないのだと分かっている。けど、ああいう場面を見てしまうと心がざわめくのだ。 それは多分、男同士だという拭いきれない負い目が、良守の心の奥底でシコリとなって残っているのだろう。 ふっと目線を上げた良守の目に、正守の首が目に入った。衝動的にその首筋に唇を寄せると思いっきり吸いつく。 「よっ、良守!?」 突然の大胆な行動に正守は慌てた。だが良守はそのままチューっと音をたてて吸うと、正守の首に赤印を残した。 「これで暫く誰も寄ってこないだろ!」 「良守・・・。」 首筋から顔を上げた良守は、満足げな顔で笑う。それを見て正守は絶望的な声を出した。 酒に酔っているとはいえこの行動は酷すぎる。お前それは誘っているのか煽ってるのか、俺の限界を試しているのかどっちなんだ、と問いつめたい気分だ。きっと当の本人には、どれだけ大胆な事をしたのかの自覚は無いのだろうが。酒の力って恐い。 へへ〜っとニヤケながらもたれ掛かってくる良守を抱きとめながら正守は脱力したように肩を下ろした。 結構強く吸われたから、このキスマークは暫く残るだろう。別に誰に見られても突っ込まれても構わないし、むしろ自慢したいくらいだからキスマーク自体は問題ない。 これをネタにしばらく良守をからかえるのも楽しみだ。 考えてみると正守としてはまったく眼中にない女性達に声をかけられ正直辟易したのだが、こういう事態になるとは思いもしなかった。 良守がこんな可愛い事をしてくれるなんて、棚からぼたもち、怪我の功名。 あの女性達に感謝しないとな、と思いつつ、家に帰ったら覚悟しろよと心の中でほくそ笑む正守だった。 |
2009.7.5