「暇だな〜・・・。」
ゴロリ、と床を転がりながら良守は呟いた。それに対して返ってくる言葉はない。完全な独り言だ。それも当然で、今この家には良守だけで他には誰もいなかった。
もう一人の住人である正守は仕事で留守にしている。予定ではあと4〜5日は帰らないはずだ。
正守と一緒に暮らし始めてから今まで、1〜2日くらいの泊まりがけの仕事はあったけど、こんなに長期間家を空けた事はなかった。墨村の家だっていつも誰かしらの気配があったから、こんな風に誰もいない家に一人きりというのは慣れてなくて変な感じがする。
昼間学校に行っている間はまだ良いのだが、一人になると暇を持て余してしまう。最初の数日はお菓子の新しいレシピを考えたり、いつも正守に勝てないゲームの特訓をしたりしていたのだが、それももうやる気がなくなってしまった。
兄がいる時は暇だ、なんて考えた事もなかったのに。何もしなくても、ただ一緒にいるだけで穏やかな気持ちで時を過ごせた。
気づけば本日何度目かも分からない溜息が口から漏れる。こんな事じゃいけないと思うのだけどどうしようもない。
横目で見た壁掛けのカレンダーには正守の帰宅予定日に丸が付いている。それだって予定通りにいったらの話で、長引く事だってあるだろう。
今回の任務はずいぶんと人里離れた山奥みたいで、携帯の電波も入らない時があるのだそうだ。それでも正守は仕事の合間に電波の届くところまで移動しては連絡をくれている。順調だとは言ってたから、多分予定通りに帰ってくるとは思うのだけど。
せっかくの休日。天気も良いのに一人くさくさしてるのも馬鹿らしい。良守は気分転換もかねて掃除でもするかと立ち上がった。
いつもは乾燥機にかけるだけの布団も日に干す事にして、まずは自室の布団を干してから正守の部屋に向かう。良守は昼間製菓学校に通い、正守には夜行での仕事がある為、二人の寝室は別々にしている。
ドアとベランダのガラス戸を開け、シーツをはがそうと上掛けの布団を持ち上げた。その時かすかに感じた匂いに良守の動きが止まる。
兄貴の匂いだ。
抱え上げた布団ごとベッドに倒れ込む。ふわりと柔らかな感触の中に顔を埋めると何となく気持ちが落ち着いた。自分の布団よりこっちの方が落ち着くってどうなんだと頭の隅で思ったけど、すぐにそれもどうでもよくなる。
会いたいな、と思った。思った途端に目が潤んできたのが自分でも分かって、良守は慌てて起きあがる。
「おい、ちょっと嘘だろ!?」
待て待て待てと、目元を拭うと確かに濡れていた。こんな事で泣くなんて恥ずかしすぎる!と、誰が見ている訳でもないのにゴシゴシと目をこする。だが目からは次から次へとポロポロと涙が溢れてきた。
「あ〜もう。勝手にしろってんだ。」
自分自身に悪態をつきながら仰向けになった。
身長が高く体の大きい正守はセミダブルのベッドを使っている。良守のベッドはシングルなので、自然と一緒に夜を過ごす時は正守のベッドになる事が多かった。男二人では狭く感じるベッドも、良守一人では多少のゆとりがある。
正守のいない分の広さが今は悲しい。
一人でいる事が寂しいだけじゃない。泣きたくなるほど嫌な訳じゃない。
ただ正守がいない事だけがどうしようもなく寂しかった。
昔は滅多に会えなかった事を考えれば、たった2週間程度会えないくらい些事だと言うべきだ。だけどそのたった2週間がこんなにも辛い。
これは弱さなんだろうか。人を好きになるって、弱くなる事なんだろうか。正守の為なら何でもできると思った。その為に強くなれると、強くなれたと思ってた。だけど今の自分はこんな簡単に泣いてしまう程弱い。
会いたいな。もう一度思う。声が聞きたい。良守と呼ぶ低い、優しい声が聞きたい。
電話をもらったのは3日前だった。仕事中だって分かっているからこちらからは連絡できない。電話くれってメールでもしておこうか。でも無理はさせたくない。
ぽふ、と正守の枕に顔を埋めた。僅かな匂いを逃がさず感じようと目を閉じる。
このシーツ、正守が帰るまで替えなくてもいいよな。今夜はこっちで寝ようかな。
そんな事を考えていた良守の耳に、ドアの向こうから携帯の着信音が聞こえてきた。大慌てで起きあがる。この音は正守の携帯だ。ドタバタと走って居間のテーブルに置いていた携帯に飛びついた。
「もしもしっ!?」
『あ、良守〜。兄ちゃんだぞ。今大丈夫か?』
「だっ、大丈夫!家だし、何もしてないしっ!」
良守の言葉に正守はそっか、と嬉しそうに話し始めた。
『実は予定より早いけど今朝なんとか片が付いてさ。今から夜行に戻って色々後処理あるけど、明日には帰れそうなんだよね。』
「え・・・。」
『多分昼前には家に帰れると思う。明日って何か用事入ってる?』
「いや、無い!何も無いぞ!!家にいるから!」
応えながら動悸がしてきた。正守が帰ってくる。明日には帰ってくる。そう思うと先ほどまでの暗い気持ちが吹っ飛んでしまった。
「仕事、大変だったな。明日は兄貴の好きな物作ってやるから、楽しみにしてろよ。」
『ほんと?嬉しいな。あ〜早く帰りたいよ。』
その言葉に良守が何かを言いかけた所で、正守を呼ぶ声が電話越しに聞こえる。
『あっと、そろそろ移動みたいだ。じゃあ良守、また帰る時に連絡するな。』
「分かった。気をつけて。」
良守の言葉に、正守が嬉しそうに相槌を打つ。そして通話が切れた。良守はしばらく携帯電話を見つめていたが、そっとテーブルの上に置くとまた正守の部屋に戻りベッドに倒れ込む。
布団を抱きしめた良守の脳裏に、『早く帰りたい』と言った正守の言葉が甦る。
「・・・うん。早く帰ってこいよ。待ってるから。」
この家で待ってる、と心の中で呟いた後、ハッと良守は跳ね起きた。
「やば!シーツ!布団!!」
明日正守が帰って来るなら、今日中に綺麗にしておかなくては。慌てて布団からシーツをはがし、布団をベランダに運ぶ良守の顔には楽しげな笑みが浮かんでいた。
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